屁理屈なしにおおらかに

                                                                                                           2014/08/11





俺は子供の頃、鉄腕アトムをリアルタイムで見た世代だ。
その他にも見たのは、鉄人28号、エイトマン、ビッグX、風のフジ丸、狼少年ケン、などなどいろいろあった。

当時のアニメは企業色が強く、アトムは明治製菓のマーブルチョコレート、狼少年ケンは森永製菓、といった具合にスポンサーと深く関わっていた。鉄人や風のフジ丸などは、主題歌の最後に企業名が歌われていた。

またアニメではなかったが、子供向けの番組で松下電器の「ナショナルキッド」などという企業名モロ出しのヒーローもいた。
時代劇の「とんま天狗」は主人公の名前が、姓は尾呂内(おろない)名は南光(なんこう)だった。
どこがスポンサーかは、おわかりだろうから省く。

俺が小学二年生の時、クラスメートに「朱美ちゃん」という薬屋の女の子がいた。 その娘と仲良くなって、藤沢製薬の「風のフジ丸」のノベルティーグッズをたくさん貰った事を覚えてる。
東芝の「高速エスパー」のグッズが欲しい時は、電気屋の子供と仲良くなった。

当時は露天のキャラクターのお面も安くて10円だった。(グリコが10円の時代)
おそらく版権などというものも、今ほどうるさくなかったのだろうし、無許可だったのかもしれない。だから子供の小遣いでも買えた。今は千円近くする。
ヒーロー物のオモチャは、さほど似てなかった。それでも子供達は満足してた。

初めて買った少年サンデーは30円だった。漫画の月刊誌は付録が豪華だった。その頃は、漫画雑誌に戦時ものも多く、ヘタをすると戦争を美化しかねない漫画や読み物も多かった。
「これが人間魚雷だ!」「ゼロ戦の秘密!」などと巻頭カラーで、ゼロ戦や大和の図解図が載っていた。また読み物でもゼロ戦の撃墜王や、山本五十六物語など、戦争の悲惨さは描かれてはいるものの、主人公や兵器はカッコ良く描かれていた。

当時の子供達は、こぞってゼロ戦や戦艦のプラモデルを買って、よく遊んだものだった。
戦争で自信を無くした日本人の心に、わずかな救いを与える為だったのか、子供の雑誌に戦時ものが多かった。

俺は戦争を知らない世代。だからといって当時の漫画や読み物で、戦争というものを深く考えた事はなかった。現実と漫画は別物と理解していた。
あのガンダムの安彦さんも新聞のインタビューで、「ガンダムで戦争を語って欲しくない。」と語っている。

そもそも巨大ロボットなんて、兵器として機能的じゃないし、科学的には中が空洞になってなければ、歩く事も出来ないらしい。

ある企画でプロデューサーがこぼしていた。
宇宙空間に一本の薔薇の花が漂ってるだけで、代理店からNGになる。
鬼の首でも取ったように、「科学的じゃない」とダメ出し。
確かにそうだろうが夢が無い。有り得ない話を作っていながら、大きな部分には寛容で、些細な理屈にはこだわる。

ここに来る新人達も、理屈でしか物事を考えない。
微妙なラインのディフォルメでも「金属が歪んでるのはおかしい」とか、考え込んでしまって先に進めない。
そこまでこだわるなら、アニメの「中2枚の走り」も存在しなくなる。殴られて体ごと宙に浮いてブッ飛ぶ事なんてのも有り得ない。

重箱の隅を突ついて、大事な重箱が見えない。
そんな屁理屈言ってたらアニメは楽しめない。

俺の育った時代は、世相もおおらかだった。

子供が学校で怪我をしても、それを学校の責任にして、抗議する親なんていなかった。
どこで怪我をしたのかではなく、怪我をした本人の不注意として、子供の頃から自己責任を教えられた。
悪さをすると、知らない人にも怒られた。

子供の頃のケンカにも暗黙のルールがあった。相手が泣いたら終わり。そしてケンカが終われば、泣いた相手を気遣う優しさもあった。それで仲直り。

時代のその「おおらかさ」が度を過ぎた事もあった。
俺の同級生の父親が、自分の勤める小学校に泥棒に入って、逮捕されて新聞記事になった。 その逮捕された泥棒教師には何人もの子供がいた。

それを見かねた俺の親父が、当時の教育長と交渉して、出所後再び教師として復活させたのだ。
教師退職後は公的機関の館長にまでなった。
今では考えられない事だし、おおらか過ぎる。
親父の教育長への手みやげは「〇〇日誌」なるもので、後に県の重要文化財になったとのこと。

そんな俺の親父は神主らしからぬ男だった。酒が大好きで、いつも水代わりに飲んでいた。
高校時代に酔っ払った勢いで、親父に言われた言葉を思い出す。

「お前が将来どんな人間になるかは俺にはわからない。ひょっとしたら大泥棒になるかもしれない。でも例え泥棒になったとしても、友達や仲間を売るような男にだけは絶対になるな。」その言葉が一番印象的だった。
善悪は別として、親父の言おうとしていることは良くわかった。

屁理屈こねない俺の方が、時代に取り残されてるのかもしれない。
もしそうだとしても、それでも俺は喜んで取り残される。