心の窓
2014/08/26今日、また一人の人間がリタイヤした。交通事故で治療のため休んでいた岩沼が辞める事になった。(新たなレジェンド参照)
岩沼は一日だけ仕事に復帰したものの、事故の後遺症もあり、かなり辛そうだった。 前日に俺はリタイヤを迷う岩沼の背中を押してやった。このままずっと続けても不幸になるだけだし、男は退き際も大切だと。
そして事情が事情だっただけに、俺は岩沼の即日退社を認めた。
退社の挨拶で俺は岩沼に、「全てが終わるわけじゃないし、また気が向いたら、ここに遊びに来ればいいんだ。」と言って送り出した。
そんな事があったその日の夕方、OBのヨリ(仮名)が遊びに来た。
訪れたヨリからは、前日に連絡を受けていた。
20代の彼女はここを辞めて二年になる。今は転職してゲーム業界で働いている。
ヨリがここを辞めたのは、アニメが自分に向いてないと感じたのと、金銭的にも「職業」として成立しない点も大きかった。
それでも雑草プロに在籍していた当時は、毎日自宅から二時間近くかけてここに通っていた。
思ったように仕事が進まず、足取りも重そうに、駅に向かう姿を何度か見かけた事もあった。
俺は訪れたヨリの差し入れのお菓子を配ると、雑草達はまだ仕事が残ってるので、ヨリを別室に連れて行って話を聞いた。
俺「ところでさ、今いくらぐらい貰ってるんだ? 」
ヨリ「今は18万ぐらいです。」
俺「凄いな、アニメーターでそこまで稼ぐには大変だぞ。原画でも動画でも、なかなかそこまで稼げないよ。」
ヨリが雑草プロに居た頃は、三万円ぐらいの月収だった。それはほぼ交通費と文具代で消えた。
だが今は雑草プロの南よりも収入がある。この差は一体なんだ?…
ヨリに出勤時間を聞くと、朝10時に出勤して、7時半ぐらいには退社してると言う。
アニメーターで、そこまで稼ごうと思ったら、かなり残業をしないと稼げない。いや、残業しても稼げない人間が大半だ。
彼女がここを辞めて、ゲーム業界に入るまでの道のりは長かった。一年以上就活して今の会社に入った。 その念願だったゲーム会社に就職して、今は生き生きしてる。
訪れたヨリとこうして仲良く話をしているが、ヨリがここに居た当時は、俺はヨリが苦手な存在だった。
性格もキツそうで、冷たく素直じゃない人間だと思っていた。
仕事以外でも、俺が良かれと思って声をかけても、「大丈夫です。」「けっこうです。」の淡白な単語ひとつで終わってしまう、どこか心がツッパってる…そんな感じの女の子だった。
それはヨリの、弱さを見せまいとする頑張りが、冷たい印象を与えていたのだろう。そして人付き合いが苦手な面もあったと本人は言う。
そんな心のすれ違いから、俺は雑草プロに居た頃のヨリは、あまり好きじゃなかった。(ごめんな)
その印象が一変したのは、ヨリがここを辞めると決断した頃だった。
もう辞めると決断してからは、心が開放されたのか、俺には正直にいろいろ話をしてくれるようになった。
自分のやりたい事、家族の事、趣味の事、いろいろ話しているうちに、ヨリの実像が鮮明になっていった。
ある時、会話中に涙ぐむ時もあって、本当は優しい女の子だという事もわかった。
そしてここを辞めた後も、メールのやりとりはしていた。ヨリの同期の女の子を誘って遊園地に行ったり、みんなでハイキングに行ったりと、交流は続いていた。
そんな交流から、実際のヨリという女の子は実に気が付く「いい奴」だった。それもここを辞めてから、強く感じるようになった。そして今では良き友人になれたと思ってる。
もし今でもヨリが必死でアニメを続けていたら、理解出来ないまま、すれ違いの日々を送っていたのかも知れない。
一人の人間を理解するのは難しいし、時間もかかる。
こっちの窓が開いていても、向こうの窓が閉まっていたら、空気も流れない。
その窓も何がきっかけで開くかもわからない。
結果的にヨリはアニメーターを辞めて正解だったと思う。どちらかと言うと、ヨリは時間をかけて絵を描くタイプ。
ドラゴンが大好きで、趣味の絵も徹底してドラゴンにこだわってる。いつかそれが仕事として花開く事を願ってる。
俺「なぁ、せっかくだから、後で知った者同士だけで、宴会でもしないか? 」
ヨリ「いいですねぇ。」
二人で激安店に酒とツマミを買いに出かけた。
その夜は何人かで楽しい宴会。
土曜日の宴会の余韻を残しながら、日曜を挟んだ月曜日に会社に出勤。「さあ、今週も頑張るぞ!」
ところが、そんな気分も束の間…
馬鹿新人達がまともに挨拶が出来ない。南に何度も注意されてるらしいのだが、馬鹿だから覚えられない。入ったばかりの夢見る新人ですら、アッという間にこのテイタラク。
俺のカミナリが再び炸裂!
ここはまるで挨拶をしたくない奴等が、アニメーターを希望して入って来る。
壁のあったヨリでさえ挨拶は出来た。コイツ等とは、ヨリとのように分かり合える事はあるんだろうか?
そう思いながら、俺は心の窓を半分閉めた。