アニメーターは高校球児

                                                                                                           2014/11/10





子供時代の楽しみは「オマケ」だった。

「明治のマーブルチョコレート」にはアトムのシールが付いていた。後にシールからアトムのカラーフィルムに代わった時期もあった。

そして「グリコ」には鉄人28号のミニ人形やワッペンなどが付いていた。そのグリコは当時10円だった。

丸美屋の「のりたま」にはエイトマンのシールが付いていた。

「おそ松くんふりかけ」なんて物もあって、当たりが出るとおそ松くんの色紙が貰えた。(印刷物だったが)のりたまが当時30円に対して、こちらは20円だった。

スーパージェッターふりかけにはカードが付いていた。

「森永ココア」には狼少年ケンの「起き上がりこぼし」が付いていた。小指の半分ぐらいのサイズで、何が出てくるかはわからなかった。ケンを始めチッチやポッポ、片目のジャックなど数が多かったので、集めるために無理やりココアを飲んだ。

「タイガーマスクガム」などというのもあって、点数を集めて送るとビニールのチャンピオンベルトが貰えた。

「ハリスのゲゲゲの鬼太郎ガム」では当たりが出ると鬼太郎人形が貰えた。当時ガムはみんな10円だった。

子供時代はアニメのヒーローになりきって遊んだ。そしてアニメの絵を描く人達に憧れた。
ところが、現実は一般社会のサラリーマンの人達の方が、遥かに高給取りだという現実を知った。

サラリーマンの生涯年収は約2億円だと聞く。
果たしてそれぐらい稼げる「アニメーター」は何人居るだろうか?
おそらく数えらる人数しかいないだろう。

さて、何故アニメーターが食えないのか?
それは一言で言ってしまえば、今のアニメは対価以上のクオリティーの絵を求められているからだ
。 アニメの創世記と違って、今の絵は原画も動画も線が多く、細部にわたって細かい為に一枚描くのに時間がかかる。
俺がこの世界に入った昭和四十年代後半の頃と比較すると、リアルな絵柄の作品で一枚描くのに「三倍」の労力が必要になっているだろう。その割に仕事の単価はさほど上がってない。

そしてスポンサーから制作に細かな注文や病的な指示がある。
昔はキャラクターが出来上がると、作画の打ち合わせ段階で「この絵は服の模様が複雑で作画が大変だから、模様は付けない事にしましょう。」などと、演出サイドからの提案で面倒な部分がカットになる事もあった。

それが今では有り得ない。いろいろと細かな縛りがあって、監督や演出でさえ自由に出来ない事もある。どんなに大変だろうが、どんなにムチャだろうが動かしてくる。監督がオーケー出した作画でさえ、代理店からリテークになる場合もある。

じゃあ、どうすればいいのか?
現状で無理を承知で言うならば、対価に見合った作品を作ればいいのだ。
制作費があまりにも安かったら、絵柄をもう少しアニメ用に変える。

例えば昔の「巨人の星」のジャイアンツのユニフォームの、胸のロゴマークは「G」だけだった。
今のアニメだと「G」ではなく、キッチリ「GIANTS」と省略しないで入れることになる。そのうえ、その文字の周りをオレンジ色で囲う作業もする。

「質の良いアニメ」を作るという名目で、作画の対価を度外視ししているのが現状だ。
何もアニメーターが「面倒な作業」が嫌だと言ってるわけじゃない。誰だってクオリティーの高い作品は作りたいに決まってる。それだったら、それに「見合う対価」は必要だ。
今のアニメは登場人物もやたらゴチャゴチャしていて、装飾品などの「部位」に時間を取られ、本来の絵を描く作業時間の足かせになっている。

現在の動画に関して言えば、今の動画は素人でも「半分は出来る」
多少トレス線が引ければ何とかなるのだ。作品によっては走りの動画の全てが原画という場合もある。
また「線割り」と呼ばれる、線と線の間に線を入れて、絵を完成させる動画も多い。
これらの作業は別にアニメーターじゃなくても、トレスが出来れば誰でも出来る作業だ。ただし収入を度外視した忍耐力だけは必要だ。

誤解を恐れぬならば、良し悪しは別として、原画もまた多少の絵心があれば誰でも描ける。
今はどんな下手な原画マンでも、レイアウトの段階で、作画監督に修正されまくって絵が戻って来る。
その時点で、ある程度の絵が出来上がってるわけだから、後はそれに沿って絵をまとめればいい。そしてこの作業はレイアウトを描いた本人ではなく、「第二原画」と呼ばれる別のアニメーターが描く場合が多い。
その作業の早い遅い、上手い下手の差はあるものの、時間をかけていいのならば、よほど下手なアニメーターじゃない限り描ける。
その第二原画が作画監督の元に渡って、再び絵の修正が入る。

作画監督に「おんぶにだっこ状態」の作画システムが今の主流だ。上手い原画マンとは、早さと同時にいかに作画監督の絵の修正が少ないかだ。
作画監督は大変だろうが、現在のアニメはそれぐらい作画監督の占める割合が重要で、大きくなっている。

今や中国と同様にアニメーターは、低賃金の「人海戦術」でひとつのアニメ作品を作っているのが現状だ。その無理が今度は「海外の人海」を頼って存続している。

またアニメーターは、あまり「お金に対して無頓着」な人間が多い。
この雑草プロでも、「動画マン」から「原画マン」にステップアップさせる時に俺が「原画の作業というのは、動画と違って別の作業だぞ。真っ白な状態から絵を描くわけだから、ひょっとしたら、動画の時よりも収入が少なくなるかもしれないぞ。」そう言うと、決まって、「お金の事はどうでもいいんです。原画を描けるだけで嬉しいです。」という言葉が返ってくる。

それで続けばいいのだが、そうは言ってもいずれは「お金の不安」で、この世界を辞めて行く。
続けたくても、生活が出来ずに去って行くというのは少々寂しいが、その繰り返し。
それでも頑張って、作画監督になれたとしても、ボーナスや退職金などは無いし、サラリーマンの生涯年収を稼げる人間は殆どいない。

アニメーターを「高校球児」に例えると分かり易い。
甲子園に憧れ、ガムシャラに頑張る高校球児達。そこには金銭的欲は存在しない。

それと同じく、「アニメーター」という「甲子園」を経験して、多くの若者達が青春の「思い出」だけを作って去って行く。

一生の仕事として、アニメーターを続ける人間はあまりいない。

俺か?
俺はさしずめ、地方球場の用務員ってところだろ。