変人・東洋
葦プロで「戦国魔神ゴーショーグン」の制作が始まった頃、ひとりの男が制作進行として入社してきた。(話は前後してしまうのだが)
東洋(仮名)というダミ声で妙に馴れ馴れしい奴だった。
「お兄ちゃん、何か食うもの無いの?」
ダミ声の主は東洋だった。なぜか東洋は俺の事が気に入ったのか、いつも俺をお兄ちゃんと呼んでいた。
コイツは八万円の給料なのに六万円のアパートに住み、いつも腹を空かして仕事をしていた。性格が大雑把でヘマばかり。そのうえ車の運転も乱暴で、何度も事故を起こしてみんなから呆れられていた。
仕事も終わり、葦プロの数人の男女と飲みに行くことになった。葦プロの近くでタクシーを拾ってみんなで乗り込もうとしたところ、後ろからダミ声で、
「おたくたち、どこ行くのお〜」
と、東洋の声。みんな聞こえないふりしてタクシーに乗り込んだ。
「おにいちゃあ〜ん、どこいくのさあ〜」
「ねえ、待ってよ、俺もいくう〜」
タクシーの発進と同時にダミ声がだんだん遠くなる。
タクシーの中でみんなで振り向くと、なんと東洋が後続のタクシーに乗り込んだ。そして俺達を追ってくる。
すると一緒に乗っていた女の子が悲しそうに、
「私・・・東洋君が来るなら行きたくない・・・」
ポツリと呟いた。図々しく、デリカシーの欠片もない東洋は、女の子達から嫌われていた。
そこでタクシーの中で作戦会議。
目的地に到着してタクシーを降りると、数メートル離れた所に東洋が立っていた。
「あれは何だ!」
俺は大声で東洋の後ろを指差した。そして東洋が後ろを向いている間に、俺達は四方八方バラバラに走って逃げた。
「おたくたちぃ〜、どうしたのお〜、一体何なのさあ〜」
ダミ声は続いたが、東洋が追ってくることはなかった。
その後、仲間とは決めておいた場所で落ち合って楽しく飲んだことは言うまでもない。
翌日、東洋と会社で顔を合わせると、
「ところでおたく達、昨日は一体どこに行ったのさあ」
と、アッケラカンとしている。
そこで俺は、
「何でもないよ、ただタクシーに乗りたかっただけ」
そうあしらうと東洋は、
「あっ、そう、じゃあ俺と同じだね」
とニコニコしていた。
そんな神経の図太い東洋に、やられてしまった事もあった。
月日が流れ、「戦国魔神ゴーショーグン」の制作が終わると、葦プロでは新番組「魔法のプリンセスミンキーモモ」の制作に取りかかっていた。
当時、俺は葦プロのプロデューサーの加藤さんとウマが合い、結構良くしてもらっていた。ミンキーモモの原画を描きながら版権の仕事も回してもらっていた。ミンキーモモの絵本を描いたり、おもちゃのパッケージのイラスト、またテレビCMのミンキーステッキの原画も描かせてもらった。
自分の力以上の仕事を回してくれる加藤さんとは仲が良く、実家に招いたり、加藤さんの家に遊びに行くほどの関係だった。
しかしある時、何かの拍子に加藤さんと喧嘩した。
売り言葉に買い言葉。
「じゃあ俺辞めるよ」
そう言うと加藤さんは、
「お前、他で通用すると思ってるのか!」
グサリときた。自分の腕は誰よりも分かってる。会社では明るく振る舞っていても、アニメーターとして自分自身がどれだけ悩んできたか・・・。言われたくないセリフだった
加藤さんが帰ったあと、何とも言いようがない悔しさと惨めさと、様々な感情が入り交じって、心の押さえがきかなかった。
「ドカン!」
俺は壁を思いっきり拳で殴った。壁が打ち抜かれ、破片が飛び、壁には大きな穴がポッカリと開いた。
みんな何事かと集まって来た。俺は、震えながら事の顛末を演出の大庭さんに伝えた。大庭さんは、
「なんで加藤さんはそんな事を言ったんだろ・・・」
と困惑の表情。そして、俺の気持ちを察してくれたのか、大庭さんはみんなに向かって、
「なあ、この壁の穴は、物を運んでる途中でぶつかって出来た穴なんだ。いいか、そうしとこう。わかったよな」
俺は、その言葉の意味する優しさが嬉しかった。
翌日会社に行くと、真っ先に東洋が目の前に現れた。そして、例のダミ声で、
「ねえねえ、あの壁の穴、お兄ちゃんが殴って開けちゃったんだってねえ」
と、会社中に聞こえるような声。
どこで聞いたのか、もう東洋には伝わっていた。
その言葉を隣の部屋で聞いていた専務が現れた。俺は事務室に招かれ、修理代を要求された。
後に東洋は他の会社で進行を続けたが、今はどこでどうしているやら・・・。
葦プロのミンキーモモは、あくまでも子供向けのアニメとして作られていたが、葦プロに見学に訪れるファンは、大学生や青年層が多かった。キャラ表を見てイキイキとした青年達の心の奥底が、俺には分からなかったし不思議で仕方なかった。
このあたりからアニメオタクという言葉が出現し、幼女にしか興味がない若者達が現れ始めた。あの宮崎勤が出現する少し前の話である。