死のゴットマーズ
葦プロの「ミンキーモモ」が終わった頃、俺は葦プロを辞めた。結婚したこともあり、フリーで仕事をしたくなった。とは言っても何のアテもない。とりあえず東京ムービーに電話をして、動画の仕事を回して貰える事になった。原画マンとして悩んでいた時期でもあり、知らない会社の原画をフリーでこなすには自信もなかった。
運良く仕事は回してもらえる事になった。回してもらった仕事は「六神合体ゴッドマーズ」という日本テレビ放映のロボットアニメの仕事だった。「ゴッドマーズ」はとにかくスケジュールが無かった。とにかくムービーの言われるがまま、休み無しで仕事をした。信用第一。どこの馬の骨とも分からない男に仕事を回してくれたんだと、感謝しながら必死で仕事をした。
それから俺は、毎日百枚の動画をこなした。これは嘘ではない。俺は早かったのだ。
今と違ってセル画の時代。現在のトレスラインは一ミリでも線が途切れていると、コンピューターでは色付けが出来ない。
セル画の時代は多少線が途切れていても、仕上げさんの方で色を塗ってくれたのだ。だから動画のトレスは勢いで線が引けた。描いていてリズムを取るように、スラスラと線が引けたのだ。
今のアニメーターはトレスが遅すぎると感じる。今のアニメは線が多いというのもあるが、トレス線を引くスピードそのものが、明らかに昔のアニメーターより遅くなっている。
セル画の時代を経験したアニメーターと、知らない世代のアニメーターでは、アニメを始める線の引き方からして違っているのだ。
昔のトレス線は、線の強弱もあり、絵の質感も求められた。一本の線でも、物によっては線の種類も違ったのだ。現在はほとんど単一の細いラインのアニメが主流だが、昔は単一のトレスをしたら怒られたものだった。
現在でも強弱のある柔らかいトレスラインを求めているのは、おそらくスタジオジブリぐらいのものだろう。
昔の人間としては、最近のアニメは味気ないものになったと感じる。
確かに今のアニメは昔と比べて絵のクオリティは高くなっている。しかし、絵のオリジナリティが乏しく、皆同じに見えると知り合いの画家達も口々にそう言っている。
「ゴッドマーズ」に話を戻すと、最後の頃は本当にスケジュールが無かった。コンテが出来上がって、放送日まで十日余りしか残っていないという驚くようなスケジュールだった。
月曜日にコンテが出来上がって、翌週の金曜日が放送という、今では考えられないものだった。
月曜日に原画の打ち合わせで、一人三十〜五十カットの原画が割り当てられて、土曜日がアップ日。当時は第二原画というシステムも定着していなかったため、原画もレイアウトから作業した。
俺の場合、それが終わると日曜の休みも返上で、一日百枚の動画を放送日直前まで描き上げた。
一日百枚の動画はキツかった。毎日仕事が終わると倒れるように眠る繰り返し。
そんなある日、一日百枚の約束が、百五十枚入った時があった。仕事の内容を見てみると、とてもじゃないけど終わりそうもない。少し憤慨してプロデューサーの松元さんに電話。事情を説明すると、電話口の松元さんも困惑した雰囲気。
「そうですか・・・じゃあこうして下さい。柳田さんの判断でいいですから、シート直して枚数減らしてもいいですから、それとなく動くように仕上げてください」
その言葉に我に返った。そこまで俺を信用してくれてるのか・・・。
その日俺は鬼になった。必死の形相で枚数を減らす事もなく、徹夜で百五十枚の動画を仕上げた。それが俺を信用してくれる松元さんへの礼儀だと思って、死にものぐるいで仕事をした。
「ゴッドマーズ」のスケジュールはそんな状態だから、毎日睡眠不足で意識朦朧。
ある日、進行の岩田さんがアパートに来た。
「演出の今沢さんが話があるそうです」
そう言われて、車に乗せられて東京ムービーへ。
待ち受けていた今沢さんは、俺を見るなり、
「これはどういう事ですか?」
俺の描いた原画を突きつけられた。そのカットはあまりにも忙しすぎて、妻に頼んだ原画だった。
コスモクラッシャーという、一機の戦闘機が三機に分離して飛んでいるシーンだった。ところが! よく見ると、三機に分離したはずの戦闘機が、一機だけ三機が合体した絵になってる!
額から冷や汗が滴り落ちた。
他人に頼んだと言う事も話せず、ただただ謝るだけで、説教の時間だけが過ぎていった。
ヘマ話はまだある。
葦プロで知り合った演出の西村さんと、ゴッドマーズの原画の打ち合わせをしている時だった。
「睡眠不足でろくな原画描けてないんで、自信がないんですよお・・・」
俺がそう愚痴をいうと、西村さんは、
「ところで昨日放送したやつで、柳田さんはどのへんをやったんですか?」
と問いかけてきた。俺が自分の担当した所を説明すると西村さんは、
「いやあ〜! そんなことないですよお! あのロボット達が付けPANで回り込む所なんか、良かったですよお〜」
と、笑顔。
「!!!」
素直に喜べなかった・・・。
そのシーンは、当時葦プロに在籍してた羽原君に手伝ってもらった原画だったのだ。
「ゴッドマーズ」はそんなスケジュールの中、そこそこのクオリティを保って、番組に穴を開けることもなく終了したのは、驚きだった。
それはひとえにプロデューサーの松元さん、作画監督の本橋さんの力が大きかったと思う。
そして一%ぐらいは、俺たちのような雑草アニメーター達の力もあったのだと思っている。
「ゴッドマーズ」が終わってからは、フリーのまま自宅で黙々と仕事を続けていた。ディズニーの合作の「くまのプーさん」や「ダックテールズ」の動画、「ルパン三世」の原画など、よろず屋的に仕事を続けていた。
この頃は家庭用ビデオデッキがっと普及した時代で、120分のVHSの録画用生テープが、スーパーでも五千円もした。そういった理由でテレビ番組を録画保存するのでもなかなか勇気が必要だった。
そんな時、人の仲介でスタジオぎゃろっぷに新人の指導に来てくれないかという話が来た。