いのまたむつみ・ボロクソ事件

 

 葦プロのミンキーモモの制作がスタートした時には、すでにいのまたさんは葦プロを退社して、原画の影山さん、プロデューサーの相原さんと共に新しく「カナメプロ」という会社を設立して、活動を始めていた。のちに「レダ」や「プラレス三四郎」などのアニメを制作した会社だが、現在はもう存在しない。
 カナメプロには何度か遊びに行ったが、カナメプロも葦プロ同様に、普通のコーポ的な建物だったため、分かりづらかった。
 カナメプロのスタジオは二つあったのだが、ひとつの部屋を挟んで借りていたため、みんな最初は間違って隣の家の食事中にズカズカ上がり込んで、迷惑をかけたらしい。
 そういう俺も、プロデューサーの相原さんに「作画は隣だよ」と言われて、勝手に上がり込んで食事中のご主人と鉢合わせして、気まずい思いをした。
 あのポケモンの総監督の湯山さんも、何の疑いもなく遠慮なしにズカズカ上がり込んだらしく、「お前は何だ!」とご主人に大目玉を食ったと相原さんから聞いた。

 そのカナメプロも自社作品が手薄な時は、他の会社の作品を取って仕事をしていた。
 ある時、ある大手の作品をカナメプロで取ってやっていた時、リテーク動画がいくつか戻ってきた。
 驚いたのはその内容。リテーク内容のメモ欄には、ボロクソに罵った文面があった。その中には社内の新人のために、いのまたさんが下描きを入れた、馬の走りもあった。動きもトレスも全てダメだという駄目出しだった。
 当時いのまたさんは他の作品では作画監督もやっていたし、ボロクソ罵られるレベルの人ではないにも関わらず、挑発的な文面で、全てを否定した高飛車なリテーク内容のメモ書きだった。
 俺は腹が立った。リテークにではなく、人を見下した文面に怒りを覚えた。
 その作品の動画チェックの人間は、関係筋には評判が悪く、まるでヒットラーのようなリテークを出す。
「ふざけるな!」
「こんなの描いたら二度と許さないぞ!」
「バカヤロー!」
 などは当たり前。人間否定までする。
 俺は無性に腹が立って、その場で手紙を書いて、相原さんにそのリテークを出した人間に渡してくれるように頼んだ。
 内容は、この文面はどういう事なのか。また、あなたはそこまで人を侮蔑する権利があるのか。一人の人間として話がしたいから、都合のいい日を教えて下さい、というような手紙だった。もちろん俺の氏名、住所、電話番号まで添えて、堂々と話し合うつもりだった。

 後日、相原さんから電話があった。
「柳田君、あの件ね、先方の制作から連絡があって、びびったらしく、あの話は無かったことにしましょうって言ってきたよ」
 相原さんの話によると、その動画チェックは女性だったとのこと。その作品のプロデューサーの嫁だったらしく、私はプロデューサーの嫁よ! とばかり威厳を放って威張り散らしていたらしい。
 情けない事に、それを押さえることも出来ない制作部もろくなもんじゃない。

 今も昔も、アニメ界は似たような話は腐るほどある。人間として成熟していない人間も大勢いる。権威にしがみついて、人を見下す制作の人間は数多くいる。師弟関係ならまだしも、他社に発注する仕事に対しても、奴隷的な会社もある。

 現在面倒見ている動画マン達の仕事に対しても、時々重箱の隅をつつくようなリテークもある。目パチの動画で(目をつぶる動き)、目の瞳孔を○・一ミリ下げて下さい、なんてのもある。それも小指の爪の半分の大きさの目に対してである。画面に映るのは、一秒の二十四分の二秒に対してなのだ。
 そういったチェックをする人間は、チェックの仕事が全く分かってない。「やり直しを命じる事」がチェックの仕事だと勘違いしている人間もいる。
 動画に限らず、原画マンに対してもそうだ。演出のメモで、「この原画描いた奴はど素人だな」などと書かれた演出リテークもある。
 俺は今でもそういった人を見下したリテークは納得しない。本人に真意を確かめるし、不快な思いをして仕事はしたくない。
 こういった人間はどこの世界にもいるんだろうけど、一流じゃない人間ほど、こういった輩が多い。

 今教えている人間に対して一番うるさく言っていることは、アニメーターとしてというより、人として、最低限のマナーだけは守れといつも怒ってる。
 特にアニメーターは挨拶もろくに出来ない。だから今いるスタジオだけは、誰が来ても全員で挨拶だけは徹底させている。仕事に集中してるから挨拶も出来ないという理由もあるだろうが、そういった人間に限って視野が狭く、応用力の乏しい、仕事も出来ないアニメーターが多い。
 最初に書いたように、「ゾンビ」のような人間はいらないし、当たり前の事を言って、それで辞めていくなら仕方ない。

 今いるスタジオの原画マンが、あるロボットアニメの原画を描いていた。すると、小指の爪の十分の一ぐらいの大きさの部品を、わざわざ円定規で描いている。そこで、
「こんなの二十四分の二秒で動いちゃうんだし、こんな小さな部品、フリーハンドで描いちゃえばいいんじゃないのか?」
 そう言うと、
「いや、ダメなんです。たとえ無駄でもキッチリ描かないと、演出さんからリテークで戻ってくるんです」
 と困惑の表情。

 今のアニメは肉眼で判断出来ない絵でも、こうした無駄(?)で病的なものを求められているのが現状だ。オタクといわれる人間がコマ送りで見て粗探しをして告発したり、オタク系の人間が業界でそれなりの地位について指揮を執っている傾向もある。
 確かに昔と比べて質は良くなっているが、アニメのおおらかさは失われている。
 低賃金のアニメーターにとっては辛い現状だが、それでも雑草アニメーター達は、無駄と知りつつ、頑張っている。