心の傷
世間を騒がせたアニメ界のリンチ事件を解説してきた俺だが、その加害者達を責める資格は俺には無い。
実は俺も過去には、単細胞が災いして罪を犯した一人だったからだ。
まだ若かりし頃、俺はあるアニメーターの兄貴分と慕っていた先輩を信じ、尊敬するあまり、義侠心に駆られて罪を犯してしまった一人だったからだ。
その先輩はアニメーターとして腕も優れ、俺の憧れの人だった。
性格も親切で優しく、困った時には金も貸してくれた。その金を返済に行っても決して受け取らない人でもあった。
その先輩には本当に世話になって、俺の心はいつしか尊敬の心から崇拝に近いものに変わっていった。
そんな時期にその先輩からある相談を持ちかけられた。
話が長くなるので大ざっぱに説明すると、その先輩には悪魔のような卑劣な敵がいる。そして度々嫌がらせを受けて、自殺したいほど苦しめられているとのことだった。
とある喫茶店。 「俺は喧嘩も弱いし、そいつが殴られてる姿を一目だけでも見れれば本望だよ…」先輩は悲しそうに呟いた。そして俺を見つめて「なぁ、柳田君、一生のお願いだ、そいつを呼び出して一発殴ってくれないか?」
尊敬する先輩の一生のお願いだの言葉に俺はすぐさま「わかりました」と答えた。
心の中は、こんなにいい人を死にたくなるほど苦しめる奴は許せないという怒りで充満していた。
ターゲットはあるアニメ会社の池田(仮名)
翌日俺は池田を呼び出した。場所は西武池袋線の大泉学園。
駅近くの空き地で池田と会うことになった。
その空き地の脇にはビルがあり、二階には喫茶店があった。尊敬する先輩は窓際の席でこちらの様子を眺めていた。
しばらくして池田が現れた。
わりと小柄だ。これなら楽勝、楽勝。
そしてさっそく押し問答。俺「なんで○○さんを困らせるんだ!」池田「僕は困らせる事なんて何もしていない!」
俺「○○さんから話は聞いてるんだ!」池田「ははあ~ん、君は○○さんから頼まれて僕に因縁つけにきたんだな?」俺「頼まれてなんかいない!」大声の怒鳴りあいが続いた。俺の頭に先輩の顔が浮かんだ。尊敬する先輩が見てる、早く使命を行使しなければと焦った。俺は狙いを定めて池田の顔面に渾身のストレートを叩き込んだ!
池田が吹っ飛んだ。体が宙に浮くように池田は尻から崩れ落ちた。
その直後に二人の警官が現れた。
「何故?」
あまりにも早い警官の到着に俺は動揺した。
それは俺達の口論を目撃した人の通報だったようだ。
そしてすぐさま逮捕。
俺の身柄は石神井警察署に送られた。
その日から俺の名前は11号3番。
「誰かに頼まれたんだろ?」そんな警察の調べに、俺は最後まで口を割らなかった。 だが、警察での留置所生活が俺を冷静にさせた。
尊敬する先輩にうまく利用された事に気付いたが、後の祭りだった。
取り調べの最中、署長から交通安全のチラシの絵を描かされた事を思い出す。
ムショの飯は臭いと聞いてはいたが、あれは飯が臭いんじゃなくて、器が臭かったというのがせめての発見だった。
被害者の池田さんには申し訳ないことをしたし、未だに俺の心の片隅にアザとして残っている。
みみっちい先輩よりも、そんな先輩にハメられた俺が一番馬鹿だった。
そして実の兄貴にも迷惑をかけた。当時の俺のすぐ上の兄貴は警察官。依願退職させてしまった。
そんな俺も馬鹿の一人。やった事はあの事件の加害者達とさして変わらない。
俺の心の傷は今では、ほろ苦い戒めの大事な宝物と思ってる。