スタジオ・ナック



 そういえば、ぎゃろっぷの近くにはナックというアニメ制作会社もあった。「ドンチャック物語」をはじめ、いくつかのシリーズアニメを手がける会社だった。ナックビルには、ビルの壁面にドンチャック物語のキャラクターが描かれていて、よく目立った。
 当時はナックの近くに住んでいたので、時々ナックの仕事もした。
「おはようございま〜す、ナックでございまあ〜す」
 まるでサザエさんのような声で仕事を取りに来るのは、社長の奥さんだった。進行費を浮かすためか、よく奥さんが進行も兼ねて外回りをしていた。
 ナックの経費節約はこれだけではない。仕事を入れるカット袋は、厚さが他社より薄い上、まるで油紙のような色をしていた。
 ところが、驚くのはそのカット袋の裏側にはナント! タイムシートが印刷されていた。普通はカット袋の中にタイムシートが入っているのだが、そのタイムシートの紙さえ節約。当時ナックの仕事をしていた知り合いの演出なんかは、
「こんなの恥ずかしくて持てないよお〜」
 と嘆きながらいつも他社のカット袋を使っていた。

 ぎゃろっぷを辞めて自宅で仕事をしていると、風の噂でOさんがナックで仕事をしていると耳にした。Oさんとは、葦プロ時代に席が隣でよく酒を飲みに行き、前記でも登場したあのOさんである。演出兼作画監督もする、あの愉快なOさん。
 俺は早速ナックに電話してOさんがいる事を確認すると、土産代わりにOさんの好きな酒を持ってナックに向かった。
 Oさんはナックビルの地下で仕事をしていた。俺の顔を見るやいなや、「おお〜っ!」と言って抱きついてきた。お互いに近況を話し合い、Oさんによるとナックのオリジナルビデオの演出を担当しているとの事だった。
 仕事の話になると、Oさんはどこかしら表情が曇った。俺は笑顔で、
「Oさん、どうしたんですか? そんな暗い顔をして、Oさんらしくないじゃないですか」
 そう言うとOさんは、
「いえね、実は私のOプロは倒産しちゃって、今は一人なんですよ。それに借金が出来ちゃって、その借金をナックの社長が肩代わりしてくれたんです。だから今やってる仕事も一銭も自分の懐に入らないんですよ・・・」
 無理矢理の作り笑顔でそう答えた。
 話によるとOさんは、ナックビルの地下に寝泊まりしながら仕事をしているとの事だった。
 Oさんとは久々の再会だったが、話の展開が急に暗くなってきて、そこから会話も途切れ途切れになってきた。その空気にいたたまれなくなった俺は、明るさを装いながらOさんと別れを告げてその場を後にした。
 アニメに関わる人間は、ずっと走り続けないと生きて行けない。たとえ作画監督になっても、一生保証されるわけじゃない。作品が終わったらまた一から出直し、仕事を続け、走り続けなければならない。親会社は版権などで収入があるが、下請けやフリーの人間は、日雇い労働者のように低賃金で毎日働かないと食えない。
 俺の知り合いの元作画監督などは、転職しようにもなかなか職替えも出来ず、ディズニーランドの近くで日雇いで「しじみ売り」をしている、業界では有名な作画監督もいる。また、ビルのガラス拭きや、守衛になった元作画監督もいる。
 日本のアニメ界は超一流は別として、残りのアニメーターは使い捨てなのだ。現にそう公言するプロデューサーもいる。「所詮アニメーターなんてコピー屋だ」と・・・。