挫折してゆく新人達
このスタジオには色んな人間が毎年入ってくる。そしてアニメ界の低賃金に負けて去っていく人間が多い。辞める人間は大体半年から一年続けばいい方で、長くても大体三十才前には職替えしてしまう。
このスタジオには、地方から出てきてアニメーターを目指す若者が多い。しかし年収が百万円以下の人間がほとんどで、低賃金ゆえ一人暮らしもままならない。親の仕送りがあればいいが、受けられない若者は、アルバイトをしながら続けている子もいる。新聞配達、早朝のパン屋さん、コンビニの店員などなど様々だが、みな超ビンボー。このスタジオにもそういった若者が何人かいたが、バイト族のアニメーターはほとんど途中で疲れ果ててリタイヤしてしまう。
ここにいた宮崎君(仮名)もそうだった。二十一才の宮崎君は、アニメーターを目指して宮崎県から単身上京して来た。ある程度のお金を貯めて一人暮らしを始めたが、五万以下の収入のため、いつしか貯金も使い果たしていた。
仕事が終わって、深夜一時過ぎに会社を退社すると、会社近くで宮崎と、宮崎の親友の高木の二人に遭遇。お互いに挨拶を交わしてそのまま別れた。二人は仲が良いから仕事の息抜きに遊んでるのかなあ・・・などと思っていたが、二人との遭遇はしょっちゅう続いた。そんなある時、また深夜に二人と遭遇した。
「なんだお前ら、何時間も前に帰ったはずなのに、まだ遊んでるのか?」
俺がそう言うと、
「違うんです。宮崎君が来月から食べるお金がないので、二人でコンビニ回ったりしてバイト探してるんです」
と、高木がバツの悪そうな顔で答えた。俺は宮崎が親からの援助は受けられないことは知っていたが、そこまで切羽詰まっていたとは思っていなかった。
一人の青年が誰も頼ることなく単身上京して、貯金も底が尽き、食うや食わずで頑張ってる。そして、それに協力しようと付きそう親友。俺はなぜか、遠い昔にタイムスリップしたような気がした。昭和三十年代の「三丁目の夕日」・・・。みんなで力を合わせて頑張る姿・・・。
物も溢れ、何不自由しない都会の片隅に、未だアニメ界の一部にはまだこんな世界観がある。
その後、宮崎はコンビニ店員のバイトをしながらアニメを続けたが、両立は難しかったらしく、今はもうこのスタジオにはいない・・・。
一方、貧乏生活とはかけ離れた人間も中にはいた。それは田園調布に住むお嬢様だった。
「柳田さん、私をお嬢様なんて言わないでください。私はお嬢様ではありません。ただ家が田園調布にあるだけなんです!」
なんて言いながら、話によると、家には家政婦さんも雇ってるとのこと。
「お嬢様、たまには庶民の味を教えてやるよ。一緒に食べよう」
そう言って俺は二個のカップ焼きそばを机の上に置いた。すると近づいてきたお嬢様は、そのカップ焼きそばを見るや、驚いたように目を丸くして立ち尽くした。そして、
「まあ、こんな四角い焼きそばがあるなんて、初めて知りました」
と、本当に驚いた様子だった。また別の機会に、
「今までゲテモノ料理なんて食べた事ある?」
と聞くと、しばらく考え込んでから、
「そうですねえ・・・。しいてゲテモノと言うと、エスカルゴぐらいです」
なんてのたまう。
このお嬢様、街を一緒に歩いている時に、東南アジア系の人とすれ違うと、「この辺はアジア人が多いですねえ」などとわけの分からないセリフ・・・。
毎日田園調布から通って仕事に励んでいたが、服装も明らかにみすぼらしいアニメーターとはかけ離れたシャレた服を着ていた。そして半年後に「祖母がもっとまともな職に就きなさいって反対するものですから・・・、悲しませたくないんです・・・。」と言ってスタジオを去って行った。お嬢様はやはり俺たち一般庶民とは住む世界が違う、不思議な人だった。
このスタジオにはアニメ専門学校を卒業して来る人間も多いが、すぐに実践で使える人間はほとんどいない。アニメ学校といってもピンからキリまであって、ろくに教えもしないで金儲けだけが目的のアニメ学校もある。中にはタップの使い方さえ分からない、アニメ学校の卒業生が来た事がある。
また、自分は「アニメ学校を卒業」したという変なプライド意識を持った卒業生は厄介だ。何も出来ないくせにプライドだけは人一倍で、先輩アニメーターの言うことを聞かない。そういった弊害からか、下請けのプロダクションの中にはアニメ学校出身者はお断りという所もある。きちんと教えているアニメ学校もあるが、優秀な人材は大手がさらって行くので、下請けプロは辛いところだ。
アニメ学校を卒業したからといって、一流アニメーターになれるわけじゃない。アニメ学校など行かなくても、一流アニメーターになった奴は何人も見てきたし、要は本人の努力次第だ。
アニメーターには、体育会系の人間はあまりお目にかかれない。どちらかというと無口でひ弱な人間が多い。他人とあまり関わりたくないのか、一人で自分の世界に閉じこもってしまう人間も多い。学生時代に運動などしたことがないから、先輩後輩の上下関係もあまり分からない。
このスタジオに戻って来た当時、何人かの新人指導をしていた時のこと。ある新人が爆発のシーンで四苦八苦して、なかなか終わらない。その日はアップも迫っていたので、そこで俺が残りの動画の下描きを全部入れてやった。ところが、
「動きがイマイチですね・・・」
とのたまわった。その言葉に俺は激怒した。しばらくして気持ちが落ち着いてから、その新人に、
「いつか君が新人を教える立場になった時に、同じ事を言われたら腹立つだろう?」
と言ったところ、
「俺はそれぐらいでは怒りませんから」
と笑顔で言う・・・。もはや怒る気持ちも失せて、呆れかえってしまった。
また別の新人の動画の動きがおかしかったので、リテークを出して下描きまで入れておいた。ところが出来上がった物を見てみると、全然直ってない。その新人にその事をただすと、
「下描きの動きがおかしかったので、僕が直しました」
と平然と答えた。その時も激怒したが、当人達はなぜ俺が怒るのか、全く分かってないようだった。
ここへ来る最近のアニメーター達は「和」の心、人との関わりが苦手な人間が多いような気がする。
本当にここにはいろんな若者が来る。良かれ、悪かれ、俺はそんな人間模様まで楽しんでいる。