安彦さんを見た

 

 仕事も少しずつ慣れてきた頃、創映社(現サンライズ)に一人の制作進行が入って来た。新潟出身のZ君は俺と同じ年ということもあって、ウマが合った。Z君が来るたび冗談を言い合ったりして、昼飯を食いに行くこともあった。Z君が、
「今日はオレ、早く着いたろう? 車で走ってたら目の前に消防車が走っていたから、その後ろから信号無視で来たんだ」
 などと自慢げに話していた。
 当時の創映社は西武新宿線の上井草の駅近くの小さなビルの二階を間借りしていた。
 ある時会社の使いで創映社に行った時、着いてみたものの帰りの電車賃が足りない事に気づいた。焦ってZ君を捜し出して事なきを得たが、ことあるごとにZ君にはその事で恩着せがましくからかわれた事を覚えている。

 Z君はイイ奴で真面目な進行だったが、中には変な奴もいた。
 元TBSに勤めていたIという進行で、とにかく態度がデカかった。来る度に椅子にドカンと座ると、目の前にもう一台の椅子を置いて両足をその椅子に乗せた。
「なに? まだ終わってないの? 早くしてよ」
 業界人気取りで自分の自慢話。社長を含め、みんなIが来るとイライラしていた。
「ああ喉が渇いたなあ・・・。ここはお茶も出ないのお? 何かくんない?」
 図々しくIが言った。俺はいまいましく思いながら台所に向かった。すると台所の流しの三角コーナーにお茶の出がらしを発見。それを掴むとコーヒーカップの中にその出がらしの汁を搾った。他に何かないかと探しながら、いつ頃から置いてあるのかさえ分からない瓶詰めの生姜の汁があった。しめたと思いながら、それも入れた。そして砂糖をお湯に入れてかき混ぜると、ピンク色の奇妙な飲み物ができあがった。それを笑顔でIに差し出して、
「これはこのスタジオの親戚の人がエジプトに行った時のお土産のお茶です」
 とデタラメを言った。Iは椅子に両足を投げ出したまま、ゆっくりと飲み始めた。
「おおっ! そうそう、俺中近東に行った時、こういうお茶飲んだ。懐かしいなあ・・・」
 などと言ってそれを飲み干すと、おかわりを求めてきた。
「Iさん、残念ながら、それ最後の一杯だったんですよ」
 そう言うとIは残念そうな顔をしたが、ご機嫌だった。Iが帰った後、俺がみんなに説明すると大爆笑だった。

 俺の描いた動画が初めてテレビで流れる日は、胸がドキドキした。たった一カットだったが、その日は会社のテレビの前で食い入るように見た。その時代はビデオデッキなどはまだ普及していなかったので、見逃すまいと思って緊張したのを覚えている。
 場面は大した動きがあるわけでもなく、敵のアーマノイドというキャラクターの止め口パクだった。カットナンバーはメモしてあったので、大体どのくらいの時間帯ぐらいだけは予想できた。
 おっ! と思った瞬間、あっという間に次の場面へと移っていった。たったそれだけの出来事だったが、十七才の少年の俺は、ただそれだけで嬉しかった。

 創映社は親会社といってもこぢんまりした会社だったので、社長の岩崎正美さんも進行の仕事を手伝って、俺のいた会社にも顔を出した。
 仕事中、訪れた岩崎さんが社長と会話してると、突然社長の大爆笑。
「岩崎さん、何言ってんのぉ〜! 彼はまだ十代だよ」
 俺が振り向くと岩崎さんが、
「ああ・・・、ホントだ・・・、後ろからしか見てなかったからなあ・・・」
 と気まずそうな顔。後で話を聞くと、岩崎さんは俺の事を三十過ぎの男と思ったらしく、「どうして中年の新人なんか入れたの?」などとヒソヒソ声で話してたらしい。

 初仕事の「ゼロテスター」は、今のアニメと違い、特別なシーンでない限り影も少なく、人物には顔と肩ぐらいまでしか付いてなかった。それでも新人の俺には難しく、特に曲線は引きづらかった。
 そんな中、Sさんも含めた先輩達の間で「安彦さんてうまいよなあ・・・」という話題で盛り上がっていた。あのガンダムのキャラクターデザインを手がけた安彦さんは、当時はまだ無名で、「ゼロテスター」の原画を描いていた。
 当時はまだアニメ雑誌などは発行されてなく、業界では知名度があっても世間一般にはアニメーターという言葉さえ理解されていなかった。
 創映社から届けられる安彦さんの原画を見るたび、みんな感心していた。それまで安彦さんという人物を一度も見たこともなかったが、安彦さんの描いた原画を見るたび、新人の俺は密かに憧れを抱いていた。

「ピンポーン!」
 スタジオのチャイムが鳴った。俺が玄関まで行ってドアを開けると、一人の中年男。
「あのお・・・。社長さん、いらっしゃいますか?」
 俺は「少々待ってください」とだけ告げて、社長の元へ。
「お客さんが来ました」
 と俺。
「んん? 誰?」
 と社長。
「さあ・・・小太りのオッサンですけど・・・」
 まだ十代で言葉遣いも分からない俺は正直にそう答えた。
「誰だろ?」怪訝な顔をしながら社長は玄関に向かった。
 そして社長の声。
「いやあ! これはこれは安彦さん、どうぞ入ってください」
「げっ!」あの人が安彦さん・・・。(安彦さんごめんなさい、十代のハナタレ小僧にとっては、年上の人は皆オッサンに見えたんです。)
 えっ? 小太りは? それは・・・。
 飛ぶ鳥落とす勢いのお方、というのを言い間違えただけ。
 社長からはお咎めはなかったが、冷や汗ものだった。

 しばらくしてから、また安彦さんを目にする機会があった。今度は小学生ぐらいの息子さんを連れて、スタジオに遊びに来たのだった。
 その当時俺のいた会社に前田さんという先輩がいた。その前田さんは安彦さんとも親交があったらしく、安彦さんの息子さんにやけになれなれしく接していた。そして「宇宙人」などと呼んでいた。
 後で前田さんに聞いてみると、
「あの子はさあ、耳がとんがってるだろ? だから宇宙人って呼んでんだよ」
 などと失敬な事を言っていた。そういう前田さんだって、馬みたいな顔をしていた。