洗脳 (あのビッグな奴が・・・)

 

 そして俺の同棲生活にも破局が訪れた。彼女に新しい恋人が出来てしまったのだ。
 ショックで何もかも嫌になり、仕事も手に付かない俺はアニメの仕事を辞めて、東京近郊の実家に戻って悶々としていた。
 そんな俺を慰めようと、時々後輩のアニメーター達が俺の実家に遊びに来た。前記の醍醐芳晴氏もその一人。何人かで俺の実家に泊まり込んで、くだらない話で盛り上がった。

 その後輩の一人に小太り(仮名)という若者がいた。後に小太りはアニメ界では名の知られる人物になるのだが、当時はそんな面影さえ無い生意気な小僧だった。背が低く、太った容姿だったので、ここでは仮名の小太りにしておく。
 その小太りは、先輩が寝ていると足で小突いたり、憎まれグチを言ったりして、よく先輩をからかっていた。
 その彼の新人時代は当然絵もお粗末で、トレス線すら満足に引けなかった。主人公の髪の毛などは定規で引いたようにガチガチで、まるでカッパのようなヘアースタイルの清書だった。
 俺がまだ会社にいた頃、小太りは、Hという後輩とライバル意識むき出しで仕事をしていた。
「Hさん、今日は何枚上がりました?」
 と小太り。
「ん? 俺か? 俺は四枚かなあ・・・」
 とHが答える。すると小太りは、まるで鬼の首を獲ったように、
「勝ちましたね。僕は五枚上がりましたよ」
 と勝ち誇った表情。すると今度はHが、
「ばっかなだあ・・・。俺は今の終わると七枚になるんだぜえ!」
 などと、レベルの低い争いを毎日繰り広げていた。

 その小太りも、俺が実家に引きこもった時期に遊びに来た一人だった。彼のずけずけものを言う性格は、俺の実家に来ても同じだった。
「お母さん、このお茶漬け腐ってますよ」「なんかおかずもイマイチかな・・・」
 そんなセリフに俺の母親も嫌な表情でグチを言っていた。
 
アニメーター仲間達が遊びに来ると、俺達の寝泊まりする隠れ家は、母屋から少し離れたプレハブの家だった。そこで俺達は気兼ねなくはしゃいだ。

 ある週末に、再び小太りと一緒にライバルのHの二人が泊まりがけで遊びに来た。
 いつものようにくだらない話で盛り上がっている最中に、小太りがトイレに行った。
 するとライバルのHが、
「最近小太りの奴、生意気すぎませんか? 先輩に対しても生意気な口きくし・・・」
 とボヤきだした。
 俺も今まで小太りにはイラつく事もあったので、少し懲らしめてやろうということになった。おあつらえ向きに俺の実家は神社。恐怖話で怖がらせようとなった。

 小太りがトイレから帰ると、嘘の話で固めた実家の神社にまつわる怪談話を延々と話しだした。すると小太りは鼻でくくったような顔で、
「またまたまたあ〜、そんなデタラメな話、僕は信じませんよ。現代の科学の時代にそんな迷信や非科学的なものなんか、僕は信じませんよぉ」
 などと人をバカにしたようにせせら笑っている。
 俺の心の中は、やっぱり信じないかあ・・・、とがっかりしつつも、バレて元々と思いながらも再びデタラメな話を続けた。
「俺はな、お前の心の中だって読めるんだよ。お前は昔、こんなことしたろう・・・」
 と、適当な話をした。
 するとみるみるうちに小太りの表情が強ばって、目を見開いて俺の顔を真剣に見ている。そして小太りの額からは汗が吹き出てきた。
「なっ! なっ! なんでそんな事を知ってるんですか!」
 小太りは這いつくばるように両手を床に付いて、俺に「すいませんでした・・・」と頭を下げた。そして少し震えながら話し始めた。
 最初は俺の方こそビックリで、何が起きたか全くわからなかった。小太りの話によると、俺が適当に言った事が、小太りの秘密と一致してしまったらしい。それも、小太り本人しか知り得ない秘密を指摘してしまったのだ。
 あまりの偶然に俺は驚いたが、冷静を装って、
「俺は何もかもお見通しだよ。だからここの神社の子供として生まれたのさ」
 などと偉そうに言ってのけた。小太りの表情は尊敬の眼差しで俺の顔を見つめている。
 隣にいるライバルのHも、あっけにとられて俺達を見つめていた。

 しばらくして、夜も更けたある田舎の神社の境内に、一人の男が立っていた。頭に男もののパンツをスッポリ被り、頭の両脇に二本の蝋燭を手拭いでしばりつけた、小太りが立っていた。
「お前には悪霊が憑いている」という俺の言葉を信じた小太りだった。悪霊払いの神事のために、俺に指示された男は何の疑いも抱かず、俺の実家の神社の賽銭箱の前に立っていた。
 俺は滑稽な除霊を小太りに与えると、俺とHは母屋から近道を通って神社の本殿の裏に回り、そこから小太りの様子を見ていた。
 蝋燭の薄明かりの中、小太りは賽銭箱の前に正座すると、自己紹介を始めた。そして自分が今どんな災難に遭遇しているかを説明して、命乞いを始めた。
 その様子に俺とHは笑いをこらえるのに必死だった。
 その日を境に、小太りは俺のおもちゃと化してしまった。

「アレっ? お前の影見えないよ!」
 俺がそう言うと、小太りは焦った。
「ええっ! ホントですか? HさんHさん、Hさんにも僕の影見えないですか?」
 小太りがHに聞く。
「見えないよ、どうしてだろ?」
 Hも俺に話を合わせる。
「ええっ! ぼっ、ぼっ、僕にははっきりと自分の影が見えるんですよぉ! どっ、どっ、どうしよう・・・」
 泣きそうになりながら途方に暮れる小太り。
 会う度にそんなイタズラをする悪い俺だった。
 出会った頃の生意気だった小太りの性格は、その面影さえなかった。
 そんな小太りの話をアニメーター仲間達と会う度に酒の肴にして、大笑いした。
 そのうち、「お前の体には悪い狐が憑いてるんだ。それも最強の天孤という狐がな」などと勝手に話まで作った。

 ある日、俺の家の電話が鳴った。かけてきたのは後輩のY君だった。
「柳田さん、やめてくださいよぉ〜」
 ちょっと困ったような声だった。
「今日、小太りが僕のアパートに来たんです。そして突然服を脱ぎだして、素っ裸になって僕の前に土下座すると、何やらブツブツ言ってるんですよ。こっちが話しかけても完全無視で、しばらく僕を拝んでから、服を着て帰ってったんです。分かってますよ、柳田さんの指示だって・・・。もう勘弁して下さいよお・・・」

 T君の証言。
「昨日銭湯で体洗ってたら、突然僕の横に小太りが座ったんです。そして、僕の体を舐め回すように見て、Tさんの体って魅力的な体してますねえ、なんて言うんです。最初は、お前もいい体してるよってあしらってたんですけど、Tさんの体って魅力的な体してますねえ、の言葉しか言わないんです。そのうち周りのお客さん達が僕らを変な目で注目ですよぉ・・・。恥ずかしくて、いいからあっち行け! って小太りを蹴飛ばしてやったら遠くまで椅子ごと滑って行きましたけど、体洗うの途中でやめて逃げ帰って来ましたよぉ・・・」

 それらは全て俺の仕業だった。除霊という名目で小太りに指示したことだったが、小太りは何の迷いもなく、事を遂げ続けた。
 時々俺の実家に来ては、夜中に賽銭箱の前でひざまづいて拝む小太り。
 最初のうちは事情を知っている俺の兄貴も笑っていたが、度重なる俺のイタズラに小言を言われるようになったが、俺は耳を貸さなかった。

 そしてある朝、寝ていると兄貴に突然呼び出された。
「俺はもう知らねえからな!」
 兄貴は憤慨していた。
「お前がアイツをいつまでもからかってばかりだから、可哀相になって、俺は夕べお前が寝てからアイツを呼び出して本当の事を言ったんだ」
 兄は真剣な表情だった。
 兄の話によると、小太りは、
「お兄さん、アナタは何を言ってるんですか! 柳田さんは何もかもお見通しなんですよ! 柳田さんの力は本当にあるんです! なぜそんな事を言って、僕を惑わすんですか! ・・・ははあ〜ん、お前が天孤なんだなあ!」
 とまで言ったそうだ。
 兄の真剣な忠告も小太りには全く通じなかったようで、兄は折角の善意が悪意に取られて、本当に不愉快そうだった。
「早くアイツに本当の事言えよ!」
 そう吐き捨てると、母屋に戻っていった。

 仕事もしないで毎日ゴロゴロしてる生活。別れた彼女の事もようやく忘れることができて、オレは再びアニメの世界に戻った。
 飛び込みで「葦プロダクション」に出向いて、外注として動画の仕事をもらったのだった。週に一度上京して仕事をもらって、実家で作業して、終わると再び葦プロに届けるという仕事のもらい方だった。
 当時の葦プロは「ふたごのモンチッチ」という早朝のアニメを制作していた。「ふたごのモンチッチ」はわりと簡単なキャラクターだったので、週に三百枚ほどの動画は余裕でこなせた。
 この時代のアニメ界は個人外注が多く、自宅作業のアニメーターが結構いたのだ。
 そうこうしているうちに葦プロは、「ドンデラマンチャ」や「宇宙戦士バルディオス」などの作品が決まり、大忙しになった。
 葦プロのプロデューサーの加藤さんの、「近くに越してきてくれないか」の要請で、俺は葦プロの近くに引っ越すことになる。引っ越しは小太りも手伝ってくれた。
 そして葦プロから徒歩五分ぐらいの所にある、六畳一間の風呂なしアパートに引っ越して、しばらく外注としてそのアパートで仕事をしていた。
 引っ越したアパートには、時々小太りも顔を見せた。仕事が忙しい時は小太りに電話して、コインランドリーで洗濯をたのんだ。
「小太り、悪いなあ・・・わざわざ呼び出して」
 俺が言うと小太りはニコニコしながら、
「何言ってんですかあ、お互い様じゃないですか。柳田さんだっていつも僕のためにお祈りなどで力貸してくれてるんですからあ」
 小太りは未だ、俺のデタラメを信じ、俺を頼り切っていた。 

 当時はまだあの忌まわしいオウム真理教も出現しておらず、マインドコントロールという言葉さえ、まだ一般的ではなかった。
 俺は小太りにとって完全にグルになっていたのだった。
 この経験で俺は、マインドコントロールする側の恐さというものを痛感した。
 小太りを騙しながらも、心の中ではいつ真実を言おうかと迷っていた。そしてある日、ようやく俺は決心して、小太りを呼び出して本当の事を告白した。今までやり過ぎたことを詫びながら、真実を話したのだった。
 ところが小太りは全く俺の話を信じず、泣き出した。必死の形相で号泣しながら、
「柳田さん! 柳田さんは僕を試そうとしてるんですか! それとも僕を見捨てようというんですか! ぼっ、ぼっ、僕は柳田さんだけが頼りなんです。柳田さんに見捨てられたら、ぼっ、僕はどうしたらいいんですかあ〜」
 と泣き崩れた。
 俺はマズイことになったと思った。小太りがここまで俺のデタラメを信じ、解決方法が見つからず、途方に暮れた。
 しばらくの時間、沈黙が続いた。そして俺は言った。
「わかった。小太り、ごめんな。俺はお前を試そうとしてたんだよ。お前の本心が分かった今、俺は本気でお前を守るよ。今はお前に何も憑依してないし、当分は大丈夫だから、次の俺の指示があるまで待っててくれ」
 そう言うしかなかった。
 すると小太りは、うなだれた顔を上げて安心したように俺を正面から見て、
「ありがとうございます。よかったあ・・・」
 そう言うと、みるみるうちに満面の笑顔になった。

 小太りが帰ったあと、俺は困ってしまった。考えても考えても、解決方法が見つからなかった。
 小太りとはそれから一切連絡を取ることもなく、長い年月が流れた。そして、その小太りはいつしか、アニメ界では監督として有名になり、ビッグになっていた。
 その後何年かして、小太りのライバルのHと会った。Hと久々の再会で会話が弾んだ。
 するとHは、
「先日小太りと仕事で会いましたよ。アイツの監督作品に関わったんで、アイツと会う機会があったんです」とH。
 俺は小太りとの滑稽な過去が蘇り、「あの話について何か言ってたか?」と聞くと、
「アイツにとってはバツの悪い話ですから、僕も一切触れませんでした」
 とHが言った。
「ただ、アイツ、窓から遠くの景色を見ながら、柳田さんって結婚したんですってねえ・・・とだけポツリと言ってましたよ」
 とHが当時を懐かしむように言った。
 小太りは俺と違って、雑草から大木になった。俺にとってもホロ苦い思い出だったが、俺のデタラメも全てがデタラメではなかった。
 俺は当時、小太りには言った。
「お前はいずれアニメ界でもビッグになる。日本だけでなく、海外でもな」
 その時は確かに口から出たデタラメだったが、結果は本当にそうなったのが、せめてもの救いだった。

 小太りよ! これ読んでるか? 俺の言った事はホントだったろ? あの修行があったからこそお前の感性が磨かれたんだ。
 陰ながら応援してるぜ。