仕上げに挑戦

 

「今度ウチでも仕上げ部作らないか?」
 社長の突然の提案だった。
 当時はセル画の時代で、手作業でセルに色を付けて仕上げる仕事だった。
 社長のそんな突然の提案には理由があった。会社で緻密に作画しても、色を付ける仕上げ部門で省略されて、一色に塗りつぶされてしまったり、色トレス線もトレスされずに省かれてしまう事もあったからだった。作画スタジオとしては当然おもしろくもなく、職人気質の社長としては、我慢ならない事だったと思う。それならいっそのこと仕上げ部門までやってしまおうというのが会社の意図だった。
 ところが経験者は辛うじて一人の動画の女の子が少しだけ経験あるものの、ほとんどいないも同然の無謀なものだった。
 朝十時から夜の七時まで作画スタジオとして仕事して、七時を過ぎてから素人のアニメーター達が色を塗るという、ハードなものだった。
 仕上げには全然興味がなかった俺だったが、会社の方針なら仕方がない。そう割り切って、初の仕事にも挑戦した。最初に挑んだ作品は東映の「グレートマジンガー」の第二話だったと記憶している。
 経験のある動画の女の子に教えてもらいながら進めたのだが、なかなか上手くいかない。黒や紺色など濃い色はなんとか色ムラもなく塗れるのだが、白や黄色などは色ムラが目立ち、何度も重ね塗りするうちに塗料で分厚くなってしまい、四苦八苦しながら作業をした。
 そんな素人同然の仕上げ作業だったため、そのうち東映サイドから「もう少し体制が整ってから」とやんわりと断られて、仕上げスタジオの目論見は、あっけなく崩れてしまった。

 「ゲッターロボ」、「グレートマジンガー」など、東映の一連のロボットアニメを描いていた頃、俺は恋に陥った。
 お互い十九才の恋人同士。彼女は東京近郊の街から専門学校に通う女の子だった。友達の紹介で付き合い始めて一年が経過していた。
 その彼女が突然荷物をまとめて家出して来た。
 アニメとは関係ないので詳細は省くが、その後俺達は東京近郊の街にアパートを借りて、同棲生活を始めた。そしてそのアパートから電車通勤のアニメーター生活が始まった。
 原画を描くでもなかった俺は、相変わらず低収入だった。ブティックに勤める同棲中の彼女の方が、収入が良かった。
 当時の世相は「およげたいやきくん」が大ヒットして、田中角栄の「ロッキード事件」が世の中を騒がせていた。

「ええっ! そっ、そうなんですか」
 青ざめた顔の新人。
 俺は会社で新人をからかっていた。新人が入ると、俺は必ずアニメ界の掟なる嘘をついて、新人を困らせていた。
「そうなんだよ。東映は厳しくてな、下手な動画描くとブラックリストに載るんだよ。そしてアニメーターとして前途多難の道が待ってる」
 したり顔の俺。
「ただな、一つだけ逃れる方法がある」
 身を乗り出して聞き入る新人。
「それはだなあ・・・やっぱりやめとこう」
 俺が困った表情をすると新人は、
「おっ、教えてくださいよ! 是非とも聞きたいですう〜」
 焦る新人を横目に、俺はもったいぶったような雰囲気で、
「東映の制作担当に、○○さんという人がいる。その人に・・・」
 言葉を遮る。
「なっ! 何ですか? その○○さんという人にどうすれば・・・」
 新人は話しに乗ってくる。
「許すんだよ・・・。体を・・・」
 その言葉を聞くや、新人は青ざめる。
「実は、君も今、リストのライン上ギリギリらしいんだ・・・」
 新人は体が強ばって、言葉も出ない。俺は言葉を続ける。
「今日、悪いんだけど、○○さんが君に会いたいって言ってるんだ」
 そう言うと新人は下を向いて微かに震えている。
「夕方までによく考えといてくれな」
 そんな洗礼を受けると、新人は夕方まで元気がなく、仕事にも身が入らないようだった。今と違ってインターネットもアニメ情報も無い時代、新しく入った純な男達は、みんなひっかかった。
 会社ではそんな悪戯をしてはしゃいでいたが、アパートに帰ると現実問題に直面した。

 稼ぎも少なく、パッとしないアニメーターの同棲生活。そんな生活が三年も続いた。技術的に後輩にも抜かれ、俺は焦っていた。
 現在、日本水彩画協会の理事を務め、総理大臣賞を受賞した画家の醍醐芳晴氏も、そんな後輩の一人だった。彼もれっきとした元アニメーターで、原画も上手かったが、アニメーターの宿命である「貧乏生活」は彼も経験している。当時彼は池袋の三畳一間のボロアパートで生活していた。