葦プロ・ケチ物語
ミンキーモモがそこそこ人気が出てきた頃、葦プロにひとりの青年が入社してきた。高校を卒業したばかりの少年だった。
羽原信義。アニメファンなら知っての通り、今ではジーベックの顔とも言うべき監督である。
羽原君は、真面目で好奇心旺盛で、礼儀正しい本当に真面目な好青年だった。
みんなが羽原君に驚いたのは、葦プロに入社する際に、彼は自作のアニメフィルムを作ってやって来た事だった。アニメ好きの仲間と三十分のアニメを描き、セル画で色を塗り、撮影、編集、吹き替えまでした完全なオリジナルアニメ作品だった。もちろん監督は羽原信義。 俺は羽原君のアパートで見せてもらったが、「声優」以外はプロのB級アニメだと思えばさほど気にならない出来栄えだった。その時、羽原君のアニメに対する情熱は並大抵のものじゃないことを強く感じた。
そんな羽原君を気に入った俺は、葦プロで勝手にジョギング部なるものを作って、仕事が終わると羽原君を誘ってよくジョギングをした。俺、羽原君、斉藤君、片田君の四人で、近くの善福寺公園をよく走った。
いつものように走っていると、後から斉藤君がダッシュで走って来た。
「柳田さあ〜ん、気味が悪いんですよお・・・」と斉藤君。
「何で?」と俺が聞くと、
「羽原君はいつも僕の後ろを背後霊のようにくっついてきて、それもペタペタ足音が異常に大きくて気味が悪いんですう・・・」と斉藤君。
すると羽原君が追いついてきて、
「すみません、僕、扁平足なんです」
この時俺は、羽原君が扁平足であることを知った。
そんな扁平足の羽原君ではあるが、俺が羽原君を凄いと思ったのは、彼から一度も人の悪口や批判めいた事を聞いたことはなかった。俺なんかいつも愚痴や悪口ばかりだったが、羽原君はどんな状況になっても、人の批判は決してしなかった。
人間的にも素晴らしかったから、今現在のアニメ界の羽原信義の存在がある。
そのジーベックといえば、社長の下地さん。彼もまた葦プロでは制作進行として働いていた。下地さんは野球が上手く、葦プロチームでのポジションはキャッチャーだった。
その下地さん、仕事が暇になると、
「柳田さん、柳田さんのアパートの鍵貸して下さい」
と俺の元に来ては、俺の部屋で一日中漫画本を読んで仕事をサボっていたことも付け加えておこう。
「ミンキーモモ」では、たまに変な現象も起こった。たまに番組のエンディングスタッフリストに、見知らぬ名前が出てくる。特に仕上げのスタッフリストに限って・・・。
変だなと思って制作の人間に尋ねると、
「ああ、あれね。あの女の子は加藤さんの行きつけのスナックの女の子だよ」
プロデューサーの加藤さんは、行きつけのスナックの女の子にいい顔したかったのか、そんな遊びもやっていた。
そのうち葦プロのアニメーターもだんだん増えてきた頃、作画だけを別のスタジオに移そうということになり、近くのビルに作画だけの引っ越しが始まった。
あろうことか、その責任者を俺がやるハメになった。作画監督の田中保さんは、口数も少なく、大人しい性格だったため、明るく脳天気な俺の方が向いているという判断だったのだろう。
「柳田さん、会社で鉛筆削り買ってもらえませんか?」
中のスタッフから言われた。
引っ越してはみたものの、アニメーターが十五人ほどいるのに、鉛筆削りが一台しかない。とりあえず、専務に報告した。
ところが、待てど暮らせど、何日経っても鉛筆削りが届かない・・・。中のアニメーター達は一台の鉛筆削りに群がり、一台の鉛筆削りの前に行列・・・。みんなイライラし始めた。
「これじゃあ、仕事になりませんよお・・・」
と苦情の嵐。
痺れを切らした俺は、すぐさま専務の元へ。
「みんな鉛筆削りが無いから仕事にならないと言ってます」
専務に俺がそう告げると、専務が大激怒!
「鉛筆削りが無いから仕事にならないというのはどういうことだ! そんなふざけた話は一体なんなんだ!」
と怒りだした。
葦プロの専務はアニメにはド素人だった。専務は葦プロの社長の兄であり、葦プロが発足した時に他業種から転職した人なので、アニメには全く疎かった。それを思い出した俺は、こと細かくアニメーターという仕事を丁寧に説明して、やっと分かってもらえた。
ところがまたまた何日待てども、鉛筆削りが届かない・・・。何人かのアニメーター達は、自分の家から鉛筆削りを持ってきて使ってる有り様・・・。
そしてまた苦情。
「家に帰っても仕事がしたいのに、会社で使っているから家で仕事出来ないんですよお・・・」
その言葉通りを専務に報告すると、
「う〜ん、そういうのは、そいつらの誠意の問題だねえ・・・」
呆れながら俺はスタジオに戻って、その言葉通りアニメーター達に報告。
「どっちが誠意だ!」
「馬鹿負けした・・・」
そんな声が漏れた・・・。
翌日から、前代未聞の葦プロアニメーター達の鉛筆削り持参の出勤が始まった。
その後なんとか鉛筆削りは揃えてもらったが、葦プロの節制ぶりは凄かった。
「柳田さん、玄関が靴の山で、なんとかなりませんか・・・」
後輩の声。・・・そうだった。このスタジオには下駄箱が無かったのだ。いつも玄関のドアを開けると、無数の靴の山で溢れていた。
嫌な予感を覚えながらも、再び専務に報告。
「そうか、じゃあ君が下駄箱作ってくれ」
と専務。案の定、ケチ台詞が出てきた。
「材料はどうするんですか?」
俺が訊ねると専務は、
「俺の知り合いのガソリンスタンドに板を預けてあるから、それで作ってくれ」
ため息を吐きながら、スタジオに戻ってみんなに報告。
「榎本君と片田君で、そのガソリンスタンドに行って板を貰ってきてくれないか」
二人に命じて材料の調達。
ところが二人が運んで来たのは、発砲スチロールの板。
「何だよコレ・・・」
俺が呟く。
すると榎本君が、
「僕も変だと思ったんですよお・・・だから何度も何度も店員さんに確認したんですが、預かったのは絶対コレに間違いないって言い切るから、運んで来たんですう・・・」
と、困惑の表情。
ちなみに榎本君は、のちに「るろうに剣心」の作画監督をすることになるのだが、この当時はまだ動画マンだった。
そして、運んで来た発砲スチロールの板と格闘しながら専務を恨み、何とか下駄箱のようなものが完成。
「ヤッター!」
ひと仕事終わった安堵感で全員の靴を乗せてみた・・・。ところが大量の靴の重みで、一瞬でクラッシュ!
葦プロの第二スタジオの発足は、漫画みたいなスタートだった。