プライドと苦悩



「ボーダープラネット」が終わると、再び俺はフリーで仕事を続けた。年齢はすでに三十才を過ぎていた。
 自宅でルパンや合作の原画を描いたり、動画を描いたりと仕事には困らなかった。
 フリーで仕事を続けるということは、リスクもあった。会社に所属していれば、問題があれば仲間や会社がそれなりに助けてくれる。しかし、たった一人で仕事を続けると、全て自分で責任を負わなければならない。
 例えば、仕事が上がらない時は会社の仲間がアシストしてくれるが、一人だとどんなに大変でも徹夜して上げなければならない。
 また、賃金の支払いも、やり逃げされたら終わりだ。
 アニメ界は全て口約束だから、騙される事も多い。
 番組に穴が開きそうになると、単価を倍払うから仕事をお願いしますと頼み込まれ、無理して仕事を引き受けても、いざ支払いの段階になると、
「ええっ! そんなこと言ったっけ?」などとシラを切る制作の人間もいた。
 それはまだマシな方で、支払いの段階になると、会社を倒産させてもぬけの殻にする親会社もあるぐらいだ。そしてほとぼりが冷めた頃に新会社を設立する。そんな会社も過去にはいくつかあった。俺の長年のアニメ人生の中には、そういったことで騙された事が何度かあった。
 気をつけなければいけないのは大手のプロでバリバリ仕事をしていた制作の人間が新会社を設立した時などは要注意。
「今度独立して新会社を作ったんです」などと仕事を頼まれる。
 こっちは大手のアニメ会社でプロデューサーとしてバリバリ仕事をしていた人だから、信用して引き受ける。ところが、そのプロデューサーは、大手のプロダクションの肩書きがあったからこそバリバリ仕事が出来ていたわけで、本人の信用と実力で仕事が出来ていたわけではない。その辺を勘違いして独立するから、大手にいた頃と違って本人の信用だけではうまく回らなくなり、やがてトンヅラ。
 こっちは仕事だけして支払いは全く貰えず、泣き寝入り・・・。そういった事が何度かあった。
 ここのスタジオでも何度かあったらしく、ひどい時は、原画一本分の賃金が踏み倒された事があったとのこと。
 その時は社長のポケットマネーから補填したそうだが、下請けの会社はそういった点でも辛いものだ。

 俺の先輩のKさんという人も、「サイボーグクロちゃん」という作品で原画を描いたものの、倒産で三十万ほど泣き寝入りしたとのこと。
 そのKさんが一時期タツノコプロで制作担当の仕事をしていた時がある。Kさんは生活のため、帰宅すると内職で原画も描いていた。子供が三人いるKさんはアニメーターの収入だけでは厳しかったらしく、会社の了解を得て二足のわらじを履いていた。
 そのKさんの紹介で、俺はタツノコプロの仕事をした時があった。時代はPSが誕生した頃で、ゲームブームの頃だった。「ジャングルパトロール」というPSのシューティングゲームだったが、色々問題が発生して、最後は発売される事もなく、ポシャッてしまった。
 他に「筋肉番付」という番組のオープニングアニメをタツノコが受けていたので、その仕事と、「くろねこめいたんてい」というパイロットフィルム。その仕事をタツノコが受けていたので、その動画チェックを頼まれていた。
「くろねこめいたんてい」はパイロットだけで終わり、テレビシリーズとしてはお蔵入りになってしまったが、そういった事情で度々タツノコプロには行っていた。
 俺は、タツノコプロには一種憧れがあった。俺の新人時代には、「科学忍者隊ガッチャマン」や「新造人間キャシャーン」といった、質の高いアニメを制作していた。在籍していた会社では、少しだけキャシャーンの原画と動画を受けていたので、俺はやりたくて仕方なかった。しかし、レベルの低い新人には、一枚たりとて描かせてくれなかった思い出がある。
 そのタツノコで、俺は憧れの笹川ひろしさんと会うことが出来た。タツノコの笹川さんといえば、ヤッターマンシリーズの生みの親でもあり、アニメファンなら説明する必要も無い有名人だから、ここでは省く。
 笹川さんと話ができた時は、舞い上がって、自分が今まで抱いてきた憧れと思い出を、一気にまくしたててしまった。すでに中年を過ぎていた俺だったが、思い出だけは色褪せる事なく、童心に戻っていた。
 その後、ヤッターワンのジオラマを造って笹川さんに持って行ったら、喜んで自分の動画机の風防の上に飾ってくれた。

 先輩のKさんの話に戻ると、Kさんが制作と原画の仕事をしていることは、社内では知れ渡っていた。中には、心ない若い連中はKさんを馬鹿にしていた。
 二十才そこそこの若者達は、「二流の原画マンが、原画で食えないから制作をバイトでしてる」とか、「あんな中年にはなりたかないよなあ・・・」などと陰口を叩いていた。
 そんなことを知ってかどうか、Kさんはどこふく風とばかり仕事をこなしていた。
 Kさんは穏やかな性格で、決して感情を剥き出しにすることは無く、飄々としている姿に俺は少しイライラした。Kさんは少し前まで「ハットリくん」などの作画監督も勤め、若いアニメーターや制作の人間に馬鹿扱いされる人間ではなかった。
 思いあまって俺はKさんを呼び出した。
「何で黙ってるんですか!! 中の心ない人間に何言われてるかKさんは知ってるんですか!!」
 と俺はKさんに食ってかかった。
 するとKさんは、
「君に言われなくても俺は全部知ってるよ」
 と、どこ吹く風。
「じゃあ何で怒らないんですか!! Kさんが今までやってきた事まで全否定されてるんですよ」
 俺がそう言うと、
「言わせたい奴には言わせとけばいいよ・・・。俺は全然気にしてないし、相手にしたくないよ」
 そのセリフに俺が目を丸くしていると、Kさんは続けた。
「柳田君ね、男で一番大事なことは、家族を養う事なんだ・・・。その大事な事を差し置いて、つまらない連中に労力を使うことが俺は嫌なだけなんだ」
 俺は言葉を失った・・・。
 今まで頼りなく見えていたKさんが、たくましく見えた。
 それに引き替え、俺はつまらないプライドを気にしている・・・。
 それはずっとアニメーターとして仕事を続けているが、自分自身の心のモヤモヤに翻弄され続けていた。それは・・・。

 この頃は、技術的には自分の描く原画に限界を感じていた。センスはないし、自分が二流、三流の原画マンだという事は悟っていた。
 何人かの後輩はどんどん出世して行き、業界では少しは名の知れた人物になっていく姿を見続けてきた。年齢もすでに三十半ばになっていた。そして、嫌な噂も耳にするようになった。
「えっ? 柳田さん、まだアニメやってるの?」
「へえ〜・・・。あの人まだやってるんだってねえ・・・」
 そんな後輩達のセリフに傷ついていた。その言葉の意味合いは分かっていた。才能の無い人間が、まだアニメにしがみついている・・・。
 新人時代は面倒見てやった奴でも、少し売れてくると手のひら返したように見下してくるのだ。新人時代は俺の自宅まで来てへばりついてた奴でも、心ない言葉を吐く。実力の世界だから仕方ないとは思うが、雑草には雑草なりのケチなプライドもあった。
 そこで、二流の原画マンなら、有り難がられる動画マンになろうと決心した。