後輩と先輩



 アニメーター生活も一年が過ぎると、俺にもやっと後輩が出来た。
 Oという一才年上の男だった。鼻がでかく、ボーッとしたOは初日から変だった。
 Oを昼飯に安い中華料理屋に誘った。
「僕、中華料理だあ〜い好きなんですよぉ〜」なんて言いながらカウンターに座ると「カレーライスください」と言ってカレーライスを頼んでいた。
 Oは動きものろまで、ちょっとどもる癖があった。そしてOの初キッスは社長に連れられて行ったオカマバーのオカマ。そこのオカマに唇をむりやり奪われた。いつしか、なぜかOの動画机には郷ひろみのポスターが張ってあった。
「僕、郷ひろみが好きなんじゃなくて、曲が好きだから」
 なんて言ってたが、その日を境にOはみんなからオカマ扱い。
 そのうち、俺がOよりひとつ年下だと分かると、態度が一変。なにかにつけて俺にライバル意識丸出し。あろうことに、俺と同じアパートに引っ越して来た。
 Oはだらしなく、会社も遅刻ばかりするので、ある時社長から「明日はOと一緒に来るように」と命じられた。
 翌日起きてからOの部屋のドアを叩いても、なかなか出てこない。何度もドアを叩くと、やっとOが不愉快そうな顔で出てきた。
「今行くから」
 と言いながら、いくら待っても出てこない。
 再びドアを叩く。またOが出てきて、
「今行く!」
 それの繰り返し。
 それを何度か繰り返すとドアからOが首を出して、
「誰が待っててくれって言った!」
 とキレた。
 頭に来た俺はOの部屋に雪崩れ込んで、Oに一発ビンタ! 驚いたOは呆然としてたたずんでいる。
「社長に頼まれたんだ!」
 そう言って振り返って玄関にしゃがみ込んで靴を履こうとしていると、ドドドドド・・・! Oが凄まじい勢いで走ってきて俺の背中に跳び蹴り。俺の体は前のめりに玄関に吹っ飛んでドアに激突。
 後ろから卑怯な奴!
 素早く起き上がった俺は、Oに飛びかかった。Oのみぞおちに膝蹴り、顔面にエルボー、アッパー、etc。
 それ以来、Oは俺に口答えはしても手は出さなくなった。

 そのOは仕事も遅く上達しないので、半年後に会社の方針で、会社の制作進行にさせられた。Oは東映のロボットアニメの進行として、毎日東映に通っていた。
 郷ひろみのポスターの件以来オカマ扱いのOは、いつしかオカマのカルーセルマキをもじって、カルーセルOというあだ名がついた。
 Oに仕事で用事がある時は東映に電話した。
「ハイ、東映です」交換手が出る。「内線の○○番お願いします」と俺。
「ハイ、東映動画です」
 制作室に繋がった。
「○○プロですが、そちらにカルーセルOという者がいるはずなんですが、電話口にお願いします」
 と俺。当時の東映の動画制作部は内線の黒電話だったため、受話器口の声がよく聞こえた。
「ここにカルーセルOって人いない?」
「電話だよ!カルーセルOって人!」
「電話電話、カルーセルちゃん、カルちゃん、カルちゃん、電話ですよぉ〜」
 なんて声が聞こえて大笑いしたもんだった。

 そして、一本の作画が終わると、全員で東映まで出向いてラッシュを見に行ったものだった。当時の東映は組合との労働紛争が激しかったのか、東映全体の周りの塀が大きな横断幕で囲われていて、「会社は誠意を見せろ!」とか、いろんな要求が書かれてあった。長さにすると、東映全体の塀だから何キロにも及ぶ長さで、少し異様な感じもした。
「昔は東映のアニメーターも恵まれた時もあったんですよ」
 声の主は東映の制作の佐々木さんだった。佐々木さんは元東映の社員アニメーターで、作画を辞めた後、制作の仕事に就いた人だった。たまたま社長のお供で酒の席に行った時に、そんな話が聞けた。
「昔は東映もアニメーターは社員で、給料も保証されていたんですよ。あれは虫プロが出来た頃かなあ・・・。アニメーターが足らなくて虫プロがどんどんアニメーターを引き抜いていったんで、東映も対抗手段としてボーナスを大盤振る舞いしたんです。私も当時三種の神器と言われた、テレビ、冷蔵庫、洗濯機を貰ったボーナスで買いそろえても、まだお金があまったんです」
 そんな話を佐々木さんが社長に話していた。少しうらやましいなあと思いながらも、この頃はアニメ界が今よりもまだ夢のある世界だった。
 会社は創映社と東映の仕事を掛け持ちしながら、若いスタッフで和気あいあいと仕事をしていた。

「柳田君、俺、寝てると血を吐くんだ・・・」
 先輩のSさんが咳き込みながら言ってきた。Sさんは最近やけに咳き込んで仕事している。その時はさほど気にも留めていなかったが、ある時、Sさんのゴミ箱に真っ赤なティッシュの固まりが何個も入っていた。驚いて社長に告げると社長も先輩達も心配して、病院に行けとSさんに命じた。
「でも俺、病院嫌いなんだもん・・・」
 と言って一向に行く気配もない。
 そうこうしているうちに何日もの日々が過ぎていき、Sさんの咳と真っ赤なティッシュは止まることなくいた。

 さすがに社長も、俺ともう一人の先輩に命じて、Sさんを強制的に病院に連れて行くことを指示した。嫌がるSさんを両サイドで腕を掴み、病院まで歩いて行った。
 桜台の駅近くまで来て通行人が多くなってきた時、突然Sさんが両手を振りほどいて走り出した。
「助けて!」
 と大声をあげて人混みに紛れ込んだ。慌てて先輩と俺はSさんの後を追って、Sさんを取り押さえた。
 路上に倒れたSさんは、今度は小さな声で「助けて・・・」
 何事かと大勢の通行人達が俺達の周りを取り囲んだ。
「怪しい者じゃないんです。僕達はこの人を病院に連れて行くだけなんです」
 そう言って俺と先輩で、見ず知らずの人達に言い訳を繰り返しながら、Sさんを病院まで引きずって行った。果たして病院の診断結果は・・・。
 Sさんは結核だった。
 急遽入院することになったSさんは泣いた。
「入院するとさ、俺アニメ出来なくなっちゃうじゃない・・・。ひょっとしたらさ、そうなる気がしたから、俺、病院に行きたくなかったんだ・・・。」

 Sさんは江古田にある大きな病院に入院した。新潟に住む実家のお母さんも、驚いて駆けつけて来た。
 Sさんが入院してから、時々病院から会社に電話が来た。
「Sさんがいないんですけど、行方を知りませんか?」
 そんな日に限って、ポストの中には一枚のメモが必ず入っていた。
『S参上、早く仕事がしたい』
 Sさんはそんなメモを会社のポストに入れると、おとなしく病院に戻って行ったのだった。