相棒との出会い



 このスタジオに戻ってから、色んな事があった。一生懸命全力でやってるから、色んなトラブルも発生する。特に、人間関係。特に困ったのが、人間嫌いの連中との交わりだった。こちらが良かれと思って手をさしのべても全て悪意に取られ、恨みを買うのはしょっちゅうだった。俺に恨みを持って辞めていく物も多かったが、理解してくれる人間とは強力な信頼関係も生まれた。
 特にS子という女の子は特別だった。S子が入ってくる前のスタジオは、無法地帯だった。挨拶を交わす事もなく、皆自分勝手に仕事をして、他人への興味は全く無し。特に動画の連中は月に二百枚の動画しか描けないのが普通だと思っていた。俺がいくらハッパをかけても、馬の耳に念仏。そこで俺は全員を集めて言った。
「四月になったら何人か新人が入ってくる。そこで一人でも線を引っ張るのが早い奴がいたら、俺は必死でそいつを教える! そして君ら全員を半年で抜いてみせる」
 そう豪語した。そう挑発しても、誰一人俺の話をホラ話だと思って真剣に耳を傾ける人間はいなかった。
 そうこうしてるうちに四月になり、何人か新人が入って来た。初日に全員にトレスの練習をさせていると、一人の女の子に目が止まった。トレス線は雑だったが、そのトレス線に何か光る物を感じた。それがS子だった。
 S子はアニメは全くの素人で、それまでトレスすらした事がなかったという。だが、俺はなぜかそのトレス線に感じるものがあった。なぜか心の中は小躍りしたいぐらいだった。
「よし、君は明日から本番だ!」
 俺の無謀なセリフだった。
 翌日から俺は全くの素人のS子に本番の仕事をさせながら、英才教育並の指導をした。S子はびっくりするぐらい飲み込みが早く、俺の期待に応えた。結果、S子はその月に507枚の動画を描き上げた。全くの素人が、入った翌日から二十日程度で五百七枚の動画を仕上げたのだ。
 S子は二十三才の女の子で、美人と言ってもおかしくないぐらい可愛らしかった。そういった意味でも俺はS子に興味を惹かれた。
 そうして一ヶ月も過ぎた頃、S子に喫茶店に呼び出された。席に着くとS子は、
「私、今まで自分の考えは絶対だと思って生きてきました。他人から何を言われても自分の考えは絶対曲げなかったし、そういう人は全て拒否してきました。でも・・・、そういった自分の考えを曲げてもいいと思った人は、柳田さんが初めてなんです」
 天にも昇るような嬉しいセリフだった。S子とは出会った時から不思議な感情があったし、それはS子も同じだったらしい。この時からS子との信頼関係は強固になって、二人三脚的な関係で仕事は続いていった。
 S子は翌月動画の枚数が612枚、次の月は633枚、777枚、780枚、842枚、913枚、1031枚、1045枚と自己記録を次々と更新していった。S子が入ってくる前に俺が「君たちを半年で抜いてみせる」と宣言した成果は、半年どころか三ヶ月で全員を抜いてしまった。それがショックで自信が無くなって辞めていった奴もいた。
 思い返せばS子とは出会った時から摩訶不思議な感情があり、お互いが強烈に惹かれあっていた。出会って間もない頃にS子は、
「柳田さんが元気がないと、私まで沈んじゃうんです。柳田さんの喜んでる姿を見るのが私の一番の幸せなんです」
 そう言われた。二十代前半の若い娘が、五十過ぎのオジサンにである。
 S子は、「私は人を年齢では見ません。魂で見ます」などと摩訶不思議な事を言った。S子といると、不思議なことに前世というものがあり、ふたりは深い繋がりがあったとしか言いようのない不思議な感情になった。その事について二人で何時間も話し合っても、答えは出なかった。
「私、柳田さんの喜ぶ姿を見れるなら何でもできる」
 それはS子さえ分からない、常識や理屈では考えられない不思議な感情なのだ。その感情は全く俺も同じで、彼女のためなら何でもできる。
 ここで断っておくが、俺とS子との間に肉体関係などは全く存在しない。肉体関係さえ超越した、強固なものとしか言いようがない。あくまでも精神、心だけの絆なのだ。
 その絆は周りも認めざるを得ないほどだ。
 知人が言うには、「それはソウルメイトだよ。人間生まれてきてどこかに魂の繋がりのある人間がいるんだけど、普通の人は滅多に出会えないんだ・・・。君はラッキーだよ」
 などと、テレビで見た解説をしてくれるが、俺たち二人も全くわからない。
 そんなS子とはもう四年付き合っているが、全く遠慮の無い関係だ。何でも言い合える。相手が傷つこうが何だろうが、罵り合える。傷つけ合って、罵り合って、それを繰り返しながら進んでいくのが真の信頼関係だと感じてる。今でもS子は俺の無茶な要求にも、無茶な頼みでも、何でも喜んでしてくれる摩訶不思議な関係なのだ。

 俺は、何も特別な事はしていない。ただ、一生懸命、正直に生きてるだけ。何ひとつ自分には自信がないし、最低の人間だと思ってる。最低の人間だと自負するからこそ、恐れるものがない。だから初対面の人に対しても飾らない。自然に振る舞って、馬鹿さ加減もさらしてしまう。その方が気が楽だし、気を遣わない。相手にとってスタートの印象がマイナスの人間だから、後々普通に振る舞ってるだけなのに、それがプラスになるようだ。落ちているものを拾ってあげただけで、少しは親切なところもあるんだとか、勝手に思ってくれる。
 S子に対しても、何ひとつ特別な事はしていないし、自然体でいただけだった。仕事を通して、五十過ぎのクソジジイと二十代の女の子の最強の信頼関係。信じられないかもしれないが、そうなのだ。
 世のオジサン族も、一生懸命生きていれば何かいい事があるんだということを、声を大にして言いたい。
 アニメを続けてもう約四十年。S子は報われないアニメーターに神様が与えてくれたプレゼントなのかもしれない。