エクソシスト

                                                                                                           2015/09/16





前々回の話の「世捨て人」こと鳥見(仮名)が辞めて行った。
突然の申し出だったが、金はいらないから、すぐにでも辞めたいとの申し出だった。
出勤前の自宅に居た時に南から連絡を受けたので、とりあえず南と別室で話し合う事を指示した。

しばらくして南から電話。
南「無理です。話しても無駄です。会話になりません。鳥見さんは普通の感情を持ち合わせていませんから、自分の考えは一切曲げませんし、自分の非は認めません…」との報告。
人間の感情を持ち合わせてないのなら仕方ない。
俺「わかった、じゃあ今すぐ辞めさせろ。やりかけの仕事はこっちで何とかするから、それでいい。」

退社願いは2ヶ月前と会社との契約で決められているが、居られる方が迷惑。そんな不快な人間に居られるだけでも迷惑。

前々回の「世捨て人」を読めばこの人物が、どれだけ社会に適応できないかはわかる。
完全なるサイコパスだった。決して人の意見は取り入れない。人を完全拒否し自分の事しか考えられない奇人だった。間違った自由を求め、先輩に対しても「対等」を求める。人の嫌がる事すらわからない。そして一切自分の非は認めない。俺の長い人生において、ここまでプライドが高く「傲慢」な人間は見た事がなかった。まさしく心は人間の皮を被った獣だった。

南の話によれば、俺に注意された事を根に持ってるらしい。おそらくそれがプライドを傷つけ、ずっと根に持ち続けて我慢ならなくなったのだろう。
結局は鳥見が求めてた事は、自分は人との交流は持ちたく無い、人からとやかく言われたくない、だから「好きなようにさせろ」と言うだけなのだ。
何も出来ない新人のうちから、こうでは教えようがない。そして数々の失態の指摘に対して「私は嫌われてもかまいません。」と開き直る。
まともな話が全く通じない。自ら辞めると言ってきたなら渡りに船。どうぞ今すぐお辞め下さいというだけだ。

社会生活が出来ないからこそ、アニメをナメて「アニメーター」になろうとしたのだろう。この業界にありがちな、そんな典型的な人間だった。
アニメーターなら、自分の好き勝手に絵を描いていられると勘違いをして。アニメの仕事をそこまで馬鹿にされたのでは困るのだ。

俺が会社に着くと、鳥見はすでに荷物をまとめて出て行った後だった。もちろん俺に対しての社交辞令のメールもメモもない。
机の上にあったのは、俺があげたデッサン人形が転がっていた。それが俺に対する鳥見の最後のメッセージだった。

それにしても、金はいらないからすぐに辞めると、言えるのは自分の金じゃないからだ。全てを親の援助で生活してきて、その有り難ささえわからないから言える言葉。
地方から何十万円もの引っ越し費用をかけて、オートロック付きの部屋を借りて、生活費の全ては親の負担。そしてここに居た半年で稼いだ金の総額は「十万円以下」…
それでも自分の「プライド」と我を押し通す為なら、全てを破棄出来るのだ。哀れとしかいいようがない。自ら喧嘩を仕掛けといて、思い通りにならないから辞める。ただそれだけのこと。

鳥見が今後どうするのかはわからない。だが、こんな人間でも雇うアニメ会社はある。だが、まともな会社は雇わない。中には人間性を問わず、単なる機械として働かせる会社はあるからだ。
人手不足のアニメ会社さん。チャンスですよ。孤独さえ与えておけば、微々たる仕事をする関西出身の小柄な女が、そのうち面接に訪れるかもしれません。不幸を引っさげてね。

ただし、決してこちらから心を見せてはいけない。普通の人間の心は、この女にとっての十字架なのだ。それまで隠していた邪悪な心が剥き出しになる。以前にもここには人間嫌いで、似たような性格の馬鹿アニメーターが居た。そして裁判で揉めた。それでもまだこの女と比べると可愛いもんだった。

ここに来る若者はアニメという仕事を大なり小なり軽く考えてる若者が多い。
この雑草プロでは、自分の描いたアニメをオンエアで確認する新人はほとんどいない。先輩のアドバイスも馬の耳に念仏。
アニメーターを志してるくせに、漫画やアニメの知識に乏しい。中には手塚治虫や「トキワ荘」を知らないどころか、「蛍垂るの墓」さえ知らない新人もいる。それでも自分は普通ですと言い切る。(勘弁してくれよお~…)

だが、それでも今回去って行った鳥見よりは全然マシ。取り立てて害は無いし、自分自身をわかってる。そして仕事は未熟でも、ちゃんと人間の心は持ち合わせている。

それにしても今回は、これほどまでに壊れた人間を見れただけでもいい人生経験だった。
何とかみんなと上手くやっていってもらいたかったから、食事に誘ったり、自炊してると聞いたので米を差し入れたりしたが、それが逆に仇となった。
それは本人にとっては迷惑だったのだろう。差し入れた飲み物を突き返された事でわかった。

俺「なぁ、そんなふうにしてたら、人生楽しくないぞ。」そんな俺の言葉に対して「今までの人生で楽しかった事なんて何ひとつありませんよ。」と吐き捨てた。
鳥見がどんな人生を歩んできたかはわからないが、全く他人を信用しない人間だった。そして「感謝」という概念も持ち合わせてなかった。

ここは病院じゃない。そして俺は医者でもない。社会生活の出来ない人間ならば会社という組織に属してはいけない。
心の歪んだ感動の無い人間に感動は生まれない。自分から逃げて変われないのなら、ずっと感動の無い人生を送るしかない。

嵐は去った。まるで「エクソシスト」になったような清々しい気分。嵐が去った雑草プロには、かすかに晴れ間が覗き始めた。