笑顔の仮面

                                                                                                           2016/01/14





前回の話に登場した大出(仮名)にハッキリと、仕事と生活態度を注意した翌日、大出が仕事を休んだ。会社には風邪で休むと連絡があったらしい。
いやいや、風邪のわけがない。誰しもそう思った。
俺は大出の同期の男を別室に呼んで話をした。

俺   「どう思う?」
同僚「大出君ですか?」
俺   「本当に風邪だと思うか?」
同僚「いやあ~っ、そうは思わないですけど、今日一日休んで明日あたり、ひょっこり来るんじゃないですかぁ。」
俺   「いや、もう辞めるよ、金はいらないから、今すぐ辞めたいって事になるよ。」
同僚「まさか、そういう事はないと思うんですけどねぇ。」

俺は確信していた。タイミングがあまりにも良すぎる。
これではまるで、自分から僕はこれだけ弱いんですよ、と言っているようなもの。

案の定、夜になってから大出が退社願いにやって来た。予想通り、お金はいらないから今すぐ辞めたいと。俺はすぐにそれを認めた。戦力外だし、お互いに何のメリットも無いからだ。
このまま彼にアニメを続けさせれば、それは「拷問」に近い。彼はそれほどひどかった。
絵を描かせれば、キャラは全くの別人になった…その違いですら、本人はわからなかった。南が絵を修正しても、今度は指が一本足らない…そんな信じられない失敗の連続だった。
そんな彼が何故アニメーターになろうとしたのかはわからない。殆ど絵など描いたことも無いのに、美少女アニメをこよなく愛し、美少女キャラ以外は拒否していたのかもしれない。

そして彼は孤独で仕事を覚えようとした。必要最低限の事しか聞いてこなかったし、先輩の描いた絵を見ることすら無かった。
そういった点を口をすっぱくするほど注意をして、こちらが何度も両手を広げて待っていても、彼は決して自分から教えて貰おうという意識が欠けていた。いつも自分の頭の中だけで考えて、違った事ばかりやっていた。孤独が好きなのか、毎年雑草プロ恒例のハイキングに誘っても、彼は参加しなかった。

会社の別室で俺の目の前にたたずみながら、退社理由を語りだした。辞める理由は自分に成長が無い事と、親からの仕送りも苦情があるとの事だった。
俺   「そうか、決心は堅いんだな?」
大出「はい、そうしようと思います。」

俺がみんなの寄せ書きを書こうと、色紙を取り出すと、大出が慌てた。

大出「あっ、そんな事いいです。」
俺   「一応ここの一員だったんだから、みんなに書かせるよ。」
大出「いっ、いいんです。そんな手数をかける事は悪いですから…」
俺   「ありがた迷惑なら書かせないけど。」
大出「ほっ、本当にいいんです。」

俺は大出の表情から、ありがた迷惑なのだと読み取って色紙を置いた。
大出にとって、ここでの仕事は、思い出したくもない苦いものだったのだろう。

辞める時の大出は饒舌だった。何故最初からこうじゃなかったのかという思いだった。
結局彼は仕事を覚えようとする方法が間違ってたし、精神も弱かった。そして、やる事もやらずに逃げ出すだけなのだ。

だから俺は最後に言ってやった。
俺「君がこれからどんな仕事をするかは、わからないけど、仕事というのは先輩から教わるものなんだ。いい意味で先輩に迷惑をかけなくちゃいけない。先輩だって向上心のある後輩なら、可愛がって面倒見てくれるんだ。それを君は一切してこなかった。」
大出「いい意味での迷惑ですか…ハイ…次の仕事では、そうします…」

結果的に俺は彼の背中を押してやったのだ。大出は絵を描く仕事は向いてない。次の仕事はリセットして頑張ってもらいたい。

俺は本人の為にキツい事も言う。どちらかと言うと新人のアニメーターは、女の子の方が精神的に強い。
大出と同期の田園調布のお嬢様なんか、俺にもっとボロクソに言われたほどだ。言い過ぎたかなと思ったが、それでも彼女はその意味を理解して今も頑張ってる。
それは女の子の方が、言葉はキツくても、その言葉の真意をわかってくれる。逆に男はその言葉尻だけを捉えてしまう。だから俺は男にはよく恨まれる。

この雑草プロには、あきらかにアニメーターに向いてない人間が入ってくる割合が多い。本人がやりたいと言うのは勝手だけど、決してそれは「本人の為」になってない現実に毎回虚しさを感じる…
俺は全く向いてない人間に「無理やり」仕事をさせているのだろうか…そんな自問自答を繰り返し、自分が悪い人間に思えてくることもある。

大出が辞めたその日、ここのOBのマナが差し入れを持って遊びに来た。マナは美容師の国家試験に合格して、今はスタイリストを目指して頑張ってる女の子だ。
女はコワい…ここに居た頃はイモ姉ちゃんだったのに(失礼)今はそれなりに美人になっている…マナを知ってる男が「誰ですか?」と言ったぐらいだ。

そこでマナを囲んで何人かで、酒とツマミとタコ焼きパーティー。
たまにはこうして息抜きしなけりゃやってらんない。

テンション下がっていても、せっかく遊びに来たマナに悪い。さっそく笑顔の仮面を付けて酒を飲んだ。