ツムジ風







また馬鹿が一人入ってきた。大学卒業したばかりの男。

俺の質問に対して、腕組みをしてふんぞり返りながら「うう~ん、そうだなぁ…」

こんな対応ありか?

後で南に注意されていたが、これが典型的な駄目なアニメーターの気質。社会生活が出来ない。

それが出来ないから、アニメの世界に来る。心閉ざして仕事するために。

こういう奴はいずれ淘汰されていくし、変わらない限り俺が引導を渡す。

当たり前の事が出来ない奴は、何をやらせても駄目。人とうまく交流出来ない奴も駄目。

そして何事も楽しんでやる事が大事。

少し前には、楽しみ過ぎて、ツムジ風のように去って行った人間もいた。

「おはようございまあす! ツムジと申しまあす、今後ともよろしくお願いしまあす!」

朝会社に着くと、カン高い声の女の子が挨拶に来た。

ツムジ(仮名)という20才の女の子だった。頭のテッペンから発するその声は、まさにアニメ声だった。

俺は面接に立ち会わないから、入って来る女の子がどんな人間なのかは全くわからない。

さっそく女の子を別室に呼んで話してみると、ハキハキした明るい性格で好感が持てた。

声に特徴があって、声優を目指して養成所に通っていた時期もあったという。

そのキンキン声は、まるで頭のツムジから発せられるようで、そこか

ら後に「ツムジ」というアダナが付いてしまった。 明るくて素直でいい娘なのだが、そのアニメ声を聞いてると、こっちがこっぱずかしくなってしまうぐらいだった。ブリッ子のアイドルのような、いい所のお嬢さん、そんな第一印象だった。

好印象のツムジだったが、俺は不安も感じていた。どこかタイプが違う…

この女の子は「まとも」だ。人との対応や言葉遣いなど、非の打ち所が無い。それにアニメーター特有の「隠」の匂いが無い。

この娘はいずれアニメ界の矛盾に気が付いて、辞めて行くだろうと感じた。

俺がアニメ界の低賃金を説明すると、ツムジは「私はある程度貯蓄もありますし、決してお金が理由で辞める事はありません」とキッパリと言いきった。

雑草プロの一員に加わったツムジは、東京近郊の都市に姉さんと二人暮らしていた。そして毎日電車で一時間以上揺られて通勤していた。

一番驚いたのが、ツムジは全くアニメの知識が無かった。アニメどころか、漫画の知識も全く無かった。

「えっ? 好きなアニメですか?…特には…」と口ごもる。

俺「じゃあ、好きな監督やアニメーターはいるの?」

ツムジ「私、あまり詳しくないので、特に…」と、こんな調子で、話が噛み合わない。

雑草プロの新人恒例のトキワ荘跡地探索でも、ツムジはトキワ荘そのものをあまり理解してなかった。

仮面ライダーの作者もわからない、手塚治虫さんですら名前しか知らない…

「ああっ! 私、ドラえもんなら知ってますよ!」と、まるで鬼の首でも捕ったかのようなハシャぎよう。

その後はアニメ漫画オンチのツムジを南と俺で一から指導。昼食時は近くの公園でアニメ談義。雑学も含めてよく話をした。

ツムジ「私も勉強しました。忍者ハットリ君って、シラトサンペイって人が描いたんですよね?」

俺「???…」

ツムジ「あれっ? 違いましたか?」

そんなトンチンカンなやりとりはしょっちゅう。

ツムジと会話してると、どうしてアニメの世界に飛び込んで来たのかわからなくなる…

その後、練習期間も終わり、ツムジは本番の仕事に入った。

なかなか上手く事は運ばないものの、仕事は毎日真剣に取り組んでいた。

ツムジは特に「スピリチュアル」関連が大好きで、叔母さんがそんな関係の仕事をしているとのこと。

そんな話も真っ向から否定しないで聞いてやるとツムジは喜んだ。時々ツムジの「おまじない」に付き合わされた。

そして俺には何でも話してくれるようになった。

そんなある日、「私、十代の頃は悪い人間だったんです…」意外なセリフに俺は驚きだった!

詳しくは書けないが、複雑な家庭環境だったようだ。「母親にグーで殴られた事もあったんです」例のカン高い声で明るく話すツムジ。

その辛い生い立ちと、今の明るい性格のツムジとのギャップに驚いた。その内容もなかなか経験出来ない内容で呆気にとられて聞き入った。

つくづく人間ってわからないなぁと思ったのと同時に、俺は信頼されてるんだと思って嬉しかった。

ツムジとは知り合って間もないのに、お互いの相性が良かったのか何でも話せた。

「柳田さん、これどうぞ」ツムジは時々手作りクッキーを差し入れてくれた。

「ありがとう、お礼に鼻チンしてやろう」俺はふざけて近くにあったティッシュをツムジの鼻に当てた。
すると、ツムジは明るく「ハアーイ」と言うなり、「チイーン」と力強く俺の手の中で鼻をかんだ。何故かツムジは俺には素直だった。

そんな頃、某アニメ会社の南に対する差別発言がきっかけになって、会社が大騒動。そして俺に対する会社側の突然のクビ宣言。

その時もツムジは俺や南の味方になってくれたが、それと同時にアニメ界の理不尽さと、会社に対する不信感を抱いてしまった。

そしてツムジが決断したのは「海外留学」

元々アニメに対して気薄だったのだろうが、ツムジの決断は早かった。俺の第一印象がまた当たってしまった。

円満退社してからも、ツムジは何度か会社に遊びに来た。そして今はヨーロッパで暮らしている。

風のように現れて、風のように去って行った不思議な女の子。

俺はそれで良かったと思ってる。ツムジみたいに明るく素直な女の子は別の世界の方が輝ける。

アニメーターとして、鈍い光を放つツムジの姿は似合わない。

ここにはいろんな人間がやって来る。思い入れの弱い人間は挫折が早い。そして去って行く。

ツムジは爽やかなツムジ風のように去って行った。