円満退社







OBのマナ(仮名)が遊びに来た。
マナは20代の女の子。ここを辞めて二年になる。去年の夏にも一度遊びに来た。

マナの現在は美容師さん。職業柄もあるのだろうが、アニメーターを辞めたら急に綺麗になった。そして明るくなった。

ここに居た頃は、ハイとローの差がけっこうあった。
仕事の壁にぶち当たって沈んだ事もあったろう。
アップ日に負われて焦った事もあったろう。

今はそんな呪縛から逃れられてなのか、生き生きしてるように見える。

マナは恵まれた環境で、アニメーター時代を過ごした。電車で一時間もかからない自宅通勤のうえ、お嬢様。
マナのお父さんは理解ある人で、「お金の心配はいらないから、お前は好きな事をやりなさい。」とマナがアニメーターになる事に反対しなかったそうだ。
それもそのはず、マナのお父さんはマンションを「2棟」持ってる。家賃収入で生活できる。

何故か、この雑草プロに来る女の子は裕福な家庭が多い。

雑草プロの土条の家庭に至っては、年金成金(言葉が悪い…ゴメン…)
土条家には90近い元教員のおばあちゃんが居て、厚生年金が年に300万円入る。
多くのアニメーターが、この働いていないおばあちゃんに負けちゃうのだ…
このおばあちゃん、もう40年近く厚生年金をもらってるから、一億円は貰ってる。

厚生年金、恐ろしや…

話が逸れた…

訪れたマナを知っている人間だけを休み時間に別室に集めて、思い出話にふけった。

俺が覚えてるのは、マナがまだここに居る頃、「なぁ、アニメーターはみんな貧乏なんだ、だから中に居る奴らを一万円ぐらいの家賃で、マナのお父さんのマンションに住まわせてくれないか?」と冗談で言った。

ところが、翌日俺の前に現れたマナは、真剣な表情で、「昨日の話、相談したんですが、…やっぱりその値段ですと…ちょっと…」と申し訳なさそうな表情…

冗談がまともに受け取られてしまった。

すると今度は南が「家賃が一万円の物件がありましたよ! それもマンションで!」と飛んできた。「エエッ! 都内のマンションで一万円???」その情報に半信半疑ながらも、その不動産屋の張り紙を見に行った。

するとナント! 確かに一万だった。
ただし…「管理費」が…

都内のマンションで一万円の家賃なんてあるわけがない。

まったく、お嬢様族の金銭感覚はわからない…

マナが言う、「私の思い出は、柳田さんに生まれて初めて、スナックに連れて行ってもらった事です。」

んっ???…おかしい…そんなこと、俺の記憶に無い…

よくよく話を聞いてみると、それはスナックではなく「居酒屋」の事だった。それも5、6人入れば満員になる小さな小さな居酒屋…
それをマナは「スナック」と勘違いしていた。

「のれん」の出てる店をスナックとは言わない。

これまた、お嬢様恐ろしや…

俺が思うに、マナは精神的に「アニメーター」には向いてなかったと思う。

それは、繊細だったし優し過ぎた。道楽で続けるなら別だが、アニメーターを「一生の仕事」として続けるには、精神的にもかなり厳しいし辛い。
原画を描いて、アテにされるようなアニメーターになったらなったで、また忙しくなる。特に女の子はよほどの覚悟がないと、失うものも大きい。

現在のアニメは流れも速く、絵の流行り廃りもある。少し前まで、作画監督をしていた人間でも、時が経てば「絵が古い」と言われる時代だ。
「荒木伸吾」さんのように、いつも第一線で活躍して、アニメーターとして全う出来た人は少ない。俺など足元にも及ばない。

そして手塚治虫さんやタレントの所ジョージのように、空気を吸うが如く仕事が出来たとしたら、どんなに幸せだろう。

アニメーターは持久力、集中力、忍耐力、体力、それを保ちながら、ずっと走り続けなきゃならない。

マナは問題を考え過ぎて、真正面からまともに受けてしまうタイプ。
それにマナには陰より陽の仕事の方が、合ってるような気がする。

そんなマナは現在美容師をしながら、スタイリスト目指して頑張ってる。

こうしてここを辞めた人間が、気楽に顔を出してくれることは嬉しい。

そう思っていたら、数日前に入ったばかりの28歳の新人の男が来ない。スタジオにも連絡が無い。携帯も繋がらない…
その後、製作に電話があったらしく、「辞めます」という言葉だけを残して、一方的に電話が切れたらしい。

辞めるにしても、たとえ3日間でも、現場で世話になったのだから、現場に一言ぐらいあってもいいものだが…
初日にその男と話したが、あきらかに物覚えが悪かったし、モノにならないのはすぐにわかった。

いや、それよりも入れてしまう方が馬鹿なのだ。

しばらくして、制作の人間が履歴書を持ってやって来た。
んんっ? また来週に新人が入る?

履歴書を見たら、何い!! 今度は31歳の新人?
勘弁してくれよぉ…

いずれリタイヤするんだろうけど、願わくば、せめて何かを得て、ここに遊びに来れるようになって欲しいものだ。

ほろ苦い思い出にしない為にも円満退社しないと。