奥様アニメーター
アニメに憧れを持つ若者は多い。
そしてここには、いろんな人間が入って来る。
長年の経験で、入って来る人間の第一印象と匂いで、その人間がアニメーターとして続くかどうかわかる。
俺は最初の一日で中の人間に「あの娘は1ヶ月ぐらいしかもたないよ」とか「彼は半年もてばいいところだよ」と言うと殆ど当たる。
奥様アニメーターもそんな一人だった。
彼女は全くの素人でアニメの知識も乏しく、アニメーターという職業に憧れだけで入って来た20代後半の主婦だった。
その奥様はいつか一人前のアニメーターとして、一家を支えたいという野望も抱いていた。
「主人には二年間は待ってくださいと伝えてあります。その間に仕事を覚え、自宅作業ができるアニメーターになりたいんです」と真剣な表情で話し出した。
その言葉を聞いて、俺はすぐに駄目だと思った。
アニメはそんな甘いもんじゃないし、もってもおそらく半年ぐらいだろうと思った。
だが、すでに彼女はこのスタジオの一員。
俺には入って来る人間の合否の権限も無ければ、面接に立ち会う事さえ許されてない。
会社が入れた人間を一流アニメーターに育てろという無謀な使命だけが与えられている男。
そんな無理を承知でひと月に五万円の指導料で雇われてる人間なのだ。
いずれ彼女はアニメ界の厳しさと理不尽さに気付くだろうし、いずれ自分で決断する時がくると思った。
だが彼女の真剣な幻想にしばらく付き合うことにした。
翌日から奥様は朝の10時から、夜の7時まで練習に明け暮れた。
1ヶ月が過ぎて、なんとかトレスがさまになってきた頃、俺は簡単な本番の仕事を奥様に与える事にした。
本番の仕事を与えられた奥様は、毎日夜の10時頃まで残業をして頑張っていた。
だが、そのうち俺は奥様の過酷な生活様式を知ることになった。
奥様の旦那様は朝の早い仕事らしく、奥様は毎日夜中の3時に起きて旦那様を送り出してるとのこと。
そのあと少し仮眠して、6時には旦那様の夜の食事と自分の弁当を作ってから出勤しているという話に驚いた。
奥様が仕事が終わって、帰宅するのは夜の12時近くになる…そして3時に起床…仮眠すると言っても、また6時には起床…
それじゃあ睡眠不足。そこで俺は特例として、奥様だけは昼の12時出勤でいいということにした。
それで睡眠不足は解消したものの、そのうち今度は夫婦間のすれ違い生活の問題も出てきた。
「主人とは、主人が出かける朝の3時からの10分ぐらいしか、一緒に過ごせる時間は無いんですけど、やれるだけ頑張ってみます」
そう言って大変な状況でも頑張っていた。
半ば無駄だとわかっていても、アシストするのが俺の仕事。人が頑張る姿は輝いてる。
心の中で応援はしてたが、最後は彼女がアニメの仕事と夫婦生活の両立が出来ず、半年たらずでリタイヤした。
奥様はアニメーターの現実を知り、憧れからも眼が覚めて、今後は外から眺める決心をしたのだった。
俺は最初からこうなる事はわかっていた。そして面接担当の人間に奥様の退社を告げると「人を選り好みしてたら、誰もここには来ないよ…」と苦い表情で嘆いてた。
俺は単なるアニメ界の「思い出請負人」かもしれない。
それはそれでかまわない。アニメの仕事を通して、俺も思い出いっぱい貰ってる。
雑草プロだからこそ、いろんな人間と出会える。そしていろんな人間模様も観察できる。でないと1ヶ月五万円の手当てじゃ、やってられない。
物好きなこのオジさんは、毎月自転車操業しながら、雑草達と生きている。