妄想には無力





「お先に失礼します。」タマが帰っていく。「もう夜中の12時だから、気をつけて帰れよ。」俺がそう言うとタマは「そう言えば、この前帰りに驚いた事があったんです。」と真剣な表情で話し始めた。

タマ「私の帰り道はいつも○○通りを真っ直ぐ行くんです。すると△△通りにぶつかるんです。そこで信号待ちしてたら、警視庁の大きな看板が目に入ったんです。」あまりのタマの真剣な表情に俺は話に引き込まれた。

俺「うん、それで?」

タマ「その看板の内容に、もうビックリしてしまって…」

俺「何て書いてあった?」

タマ「その看板には、この交差点で5月31日に人が死亡した人身事故があったと書いてありました。そして、目撃した人は警察に知らせて下さいって書いてあったんです。」

身振り手振りで興奮気味に話すタマの話に引き込まれた。
タマがその事故に何か関わりがあったのか、俄然興味が湧いてきた。

俺「ひょっとして何か関わりがあったのか?」

タマ「あると言えばあるんですけど…」

俺「なんだ、早く言えよ!」

タマ「その5月31日というのが、私は引っかかったんです。そして内心うろたえてしまって…」

俺「うん? どうして?」

タマ「私は今は自転車通勤なんですけど、5月いっぱいは電車通勤だったんです。」

俺「うん、」

タマ「だから5月31日は定期券の切れる日だったという事は覚えてるんです。だからその日は必ず電車で帰っていたはずなんです。」

俺「そうか、だから何だ?」

タマ「と、言う事は、5月31日に私はこの事故現場は通らなかったという事になるんです。」

俺「そういう事になるよな…」何か話が変だ…

タマ「だから私、安心したんです。」

俺「何に安心したんだい?」

タマ「この交差点で死んだのが私じゃないって事に確信を持てて、安心したんです。」

俺「???…」唖然…

決してギャグではないのだ。タマの想像力と思い込みは、普通の人間ではついていけない…

こんな事は数多くあった。ウンチ事件にしてもそうだった。(ドジ娘タマ参照)

極端な被害妄想で、一度自分が思い込むとテコでも動かない。決して自分の観念を曲げることはなく、人の話を歪曲してしまう。

それが仕事にも直結してしまう…間違ったやり方を何度教えても変えない。言葉では「わかりました」と言うものの、心の中に潜むその傲慢さは鋼より固い。

例えば動画の「ブレ」は一度清書したものからトレスをするのが普通だが、タマはもう一度作監修正と原画から取ろうとする。
普通の線割りの動画ですら、勝手に髪の毛をウニャウニャと動かしてくる。自信満々に「髪の毛を動かしてみました。」と言われても困るのだ。二年経ってもビギナークラス程度のレベルなのだ。

基本的にタマは自分自身の頭の中でしか物事を信じられず、根本的に人を信じる事ができない。

そんな軋轢の繰り返しの二年間だった。

温厚な南ですらサジを投げ、別の人間が教えても、今度はその人間までパニックに陥ってしまう…

会社側からは「クビにしてくれ」と言われていたが、本人はやる気満々だったし、根本的には悪人ではない。だからずっとかばい続けてクビにはしなかった。

ある時タマは俺に突然、土下座までしてアニメを続けたい意志表示をした。

そんな思いを汲んで、みんな協力して諦めずにタマの面倒をみてきた。
話は簡単だと思った。事はタマが素直に言われた事をすればいいだけなのだから…

俺の思い上がりだったのか、タマの歪んだ考え方は変わることはなかった。

何度となく助け舟を出してやっても、物事を歪曲して捉えるタマは毎回自ら墓穴を掘っていった。

そして、みんなの気持ちを逆なでするようにタマは自ら「辞めます」と言ってきた。心の片隅には「決して自分は悪くない」といった思いを抱きながら、もうじきここを去っていく。

ここまで話が通じない人は初めてです。」ある女の子が嘆いた。

想像の世界だけで生きているタマには何を言っても無駄だった。

好きなキャラやフィギュアの話になると眼を輝かせて饒舌になるタマは、自分以外の人間は一切信じなかった。

あまりにも寂しい人生だ…

タマに限らず、こういったアニメーターを何人か見てきた。

でも俺はカウンセラーじゃないし、信じてもらわなきゃ何も始まらない。そんな釈然としない思いを抱きながらも、やるだけの事はやったと自分に言い聞かせてる。