ガンダム騒動のその後

                                                                                                           2019/04/6





ガンダム騒動のその後を語ろう。

ガンダム騒動後の俺は、北関東にある実家に戻って、しばらく家でブラブラしていた。
一緒に逃走した何人かの仲間が時々訪れ、酒を飲んだり馬鹿話に花が咲いた。

そのままずっとブラブラしている訳にも行かず、俺は「葦プロ」に出向いて、外注として実家で仕事を始めた。この時の仕事は「ふたごのモンチッチ」だった。
そして後に上京して、葦プロの社内に入る事になる。
その後は葦プロを辞め、センテスタジオ、スタジオぎゃろっぷの作画班スタートに関わったり、フリーで仕事を続けて行く。

かなりの年月が過ぎた頃、驚く事にどこでどう調べたのか、赤村社長から電話が入った。
普通はあんな出来事があったら、それで人間関係は終わりになる。
ところが電話の声はご機嫌で、それまで何事も無かったかのような話しぶりだった。その電話の用件は酒の誘いだった。
だが俺は過去の出来事が出来事だっただけに、心の整理もつかず当然断った。
そんなある時、また電話がかかってきた。

社長「柳田君、俺今度オカマバーを始めたんだよ。」
俺「えっ!」
社長「いやいや、俺がオカマしてんじゃなくて、有名どころのオカマをハントしてきて、家の近くでオカマバーを開店したんだ。俺は経営だけ。」
俺「そうですか…」
社長「店は大繁盛でね、この前なんか歌手の山川豊まで遊びに来たよ。」と、かなりのテンションでご満悦だった。
社長「いやあ~、自分で言うのも変だけど、面白いよお~、今から来れない?」
俺「???…」

社長のオカマバー通いは昔から知っていた。
そのオカマバーは当時池袋にあって、社長はその店の「クレオ」さんというオカマが大のお気に入りだった。
そのクレオさん、オカマ同士で、「クレオとパトラ」という名前でレコードを出していた。その曲名は「タバコの煙は嫌い」
後にビートたけしのスーパージョッキーで、その曲がイジられていた。
会社が桜台にあった当時に、そのクレオさんから、「ねぇん、赤村社長、いらっしゃるう~ん。」という電話が時々かかってきた。
社長の分け隔てのない「人類愛?」は、後に社長本人が「ゲイシャ」をしていたという噂は、地元では有名だった。

今度はオカマバー経営…悪いけど俺にはそういった趣向は無い…
俺は仕事を理由に断ったが、しばらくすると、社長が地元で経営するオカマバーは風営法違反で、摘発されて閉店してしまった。
後にその店は、アニメスタジオになり、今は赤村プロの第一スタジオとして、現在も活動している。

社長は人間性を除けば、当時のアニメーターとしての評価は高かった。「名匠」とアニメ誌に紹介された事もある。
ただしその性格には問題があって、その才能は生かしきれなかった。
社長が現役を引退する前に、ある大手のアニメ会社が、赤村社長を「総作画監督」に据えて作品を作る話が持ち上がった。しかし直前になってその話は流れた。
「あの男が総作監をやるのなら、俺達はやらない。」と、アニメーター達の反発を買って、スタッフが集まらなかったからだ。製作の人間と違って、アニメーター達にはそれぐらい嫌悪されていた。

それでも俺が社長の様々な暴走と破壊的な性格に、ある意味同情的だったのは、社長の生い立ちにあった。これは本文でも触れているが、映画「砂の器」のような貧困の中で育った。
幼い頃から苦労しただろうし、強くなければ生きられなかっただろう…
そんな生い立ちから、無理をして決して自分の弱さは誰にも見せなかった。例えそれが身内の弟でも、弱気な姿は見せなかった。
「弱さは悪」
そんな極端な信念がこの男の攻撃的な性格を形作っていったのだろう。

自分ではどうしようもない過去の不幸な出来事が、頭の中で蘇る。そして些細な事がきっかけで、現実の怒りと過去の怒りが融合する。その巨大な怒りが他人に向けられるのだ。
弟と子供時代の饅頭の取り合いの兄弟喧嘩まで、思い出せば大勢のスタッフの目の前で喧嘩する…そういった事は日常茶飯事だった。

そんなガンダム騒動から数十年が経過した頃、たまに電話で誘われる社長の酒の誘いに、俺は一度社長と会ってみようと思った。
あの騒動からずいぶん時が流れてたし、人間産まれた時から真の悪人は居ないだろうという思いもあった。相変わらず変な噂は耳にしていたが、以前よりも少しは変わってる事を願ってそれを確認したかった。

再会したその酒の席で、俺はアニメ界のモンスターの涙を見た。
この時は俺も酔っていたので、正直に自分の思いを伝えた。
俺「社長は頑張り過ぎだったんですよ。いつも威張っていても、実際は気が小さい人。」
社長「その通りだよ…」
その時、社長の目から涙がこぼれた。

内心驚きながらも言葉を続けた。
俺「だから今のように正直に辛い事があったら、奥さんの前でも泣いちゃってもいいじゃないですか。もう意地張ったり、頑張り過ぎるのは止めましょうよ。」
社長「柳田君、こんなろくでもない男にありがとう…」溢れる涙を拳で拭う姿は、あの地獄のモンスターの姿ではなかった。おそらくアニメ業界でもモンスターの涙を見たのは俺ぐらいだろう。

その社長の泣き顔は、過去に写真で見た事がある。
まだ会社が桜台にあった頃、社長から子供時代の古ぼけたアルバムを見せられた事がある。
その白黒写真の中に、みすぼらしい五歳ぐらいの男の子が、口を大きく開けて泣いている。その隣に大きな犬が写っていて、どうやらその犬が怖くて泣いている写真だった。そのみすぼらしい男の子が社長だった。
その写真が頭をよぎって、少し悲しくなった。

俺「社長が幼少期から無理して頑張った事は、俺もわかりますよ。俺だったら逃げ出してたかもしれませんね…」
社長「…」
しばらく間があって、自分を卑下しながら話し出す社長のその姿に、俺はそれを信じた。
帰りには俺の両手を握って、「タクシー代だよ。受け取ってくれ。」と、固持する俺の手の中に無理やり二万円をねじ込んだ。

その夜の酒の出来事がきっかけになって、社長と一緒に散歩に出掛けたり、酒を飲んだりの交流が始まった。
その後、新人の指導者として赤村プロからオファーがあって、俺は再び赤村プロに戻った。
赤村プロは俺が居た頃と違って、スタジオが3つに増えていた。上に社長が住むスタジオの責任者になり、勝手に「雑草プロ」と名付けて本文のスタートはそこから始まる。
俺は全てを忘れて、心機一転のつもりだった。今本文を読み返すと、文章には会社擁護の点が数多く見られる(~_~;)

ところが、しばらくすると再びこの兄弟から猛烈なパワハラを受けるハメになる。
赤村プロの本質は何も変わっていなかった。中に入ってそれまでの内情を知れば知るほど驚いた。俺が居ない間、様々な騒動があり、あのリンチ事件以上の被害を受けて去って行った人間もいた。
それでも新人育成を引き受けたからには、我慢して会社を守っていたが、数年経つと被害が中の人間にまで及ぶようになった。
そして度々起こる騒動と、警察が出動する騒動は、本文にもしっかり載せてある。
そして雑草スタジオの最後は、ガンダム騒動と同様にスタジオはもぬけの殻になった。厳密に言えば新人二人が残ったが、他のスタジオに移動となって、雑草スタジオは閉鎖になった。

今思えば、あの涙は一体何だったのだろう…
何が原因でいつからモンスターになったのだろう?…
生い立ち?…それとも病?…あるいは違法薬物?…
今もってわからない。

数々の犯罪と共に、人知れぬ性の秘密と戸籍を変えて、今は法人会社の経営者…その闇は深い…

この実話は見ようによっては、恐ろしくもあり悲しくもなる。そしてギャグにもなる。
ただこの男を一番理解しようとしたのは、アニメ界では俺だけだったかもしれない。
俺の事が大嫌いなくせに、俺と関わりを持とうとする。俺が雑草プロを辞める時、人を介して言ってきた。仕事が足りない時はいつでも回すから言ってくれと、…
何が何だかわからない…

俺にはもう理解不能で、二度と話す事も無いだろう。
ガンダム時代の「もう話しても無駄だな!」のセリフは、そっくりお返ししよう。
「言ったね! オヤジにも言われた事が無いのに!」と返してくれるかな?(~_~;)

そんなガンダムの番外編で、「奇行戦士ガンだよ」なんてどうだろ?
アニメ界の正規軍とガン組織との壮絶な戦い。デビルスーツに乗り込んで、
「アイツ! イッテまあ~す!」Σ( ̄□ ̄)!

ドン・キホーテ柳田。