昭和アニメ・アニマル1
2024/08/22パリオリンピックも終わって、寝不足もだいぶ解消されてきた。
解説者のコメントで驚いたのは、女子レスリングの解説者がレスリングアニメの「アニマル1」を知らなかった事だ。古いアニメだから知らなくてもいいのだが、「アニマル1」のタイトルの由来は伝説のレスラー「アニマル渡辺」がモデルである。
強すぎて世界中から「アニマル渡辺」と異名で呼ばれたアマレス界のレジェンドだ。
それを知らないのはあまりにも寂しすぎる。
過去の話とはいえども、柔道選手なら誰でも「嘉納治五郎」の名前は知っている。水泳選手なら「前原秀子」の名前は知っている。体操選手なら月面宙返りの「塚原光男」を知っていて当然。
そんなレジェンドの歴史を知らない事に驚いた。
今はそういう時代なのだろう。今のアニメーターでも驚く事だが「手塚治虫」や「火蛍の墓」を知らないアニメーターすらいる。
目先の事に精一杯で過去には全く興味が無い。
あの女子サッカーの丸山選手ですら、サッカーの名門校「仙台育英校」の名前や存在すら知らなかった。
ボクサーの元世界チャンピオンで「ボクサーの階級」が全くわからないチャンピオンもいる。
オリンピックを見ていて毎回思うのだが、競技のルールがかなりいい加減なのが気になる。
サッカーは手を使ってはいけないはずなのに、試合中に相手のユニフォームを引っ張ったり、ヒジを使って相手を攻撃している。
厳密にチェックすればそんなファールが一試合に何十回もある。
スポーツマンシップに反して、うまくズルするテクニックも必要なのだ。ルールを厳格にすれば点がもっと入って面白くなるはずなのだが…
それと、審判のサジ加減でいつも揉めてるのが「採点競技」だ。それは今も同じ。
過去には審判団の不正が明らかになった競技もある。未だ賄賂が続いてると言う元選手もいる。
また「階級制度」のある種目には、いつも疑問を感じてる。階級制度は逆に公平じゃないし、メダリストを量産しているだけ。
水泳や陸上競技には階級制度は無いし、当たり前だがその種目で一番強くて優れた選手がチャンピオンなのだ。もちろんチャンピオンは一人しかいない。そこには身長差も体重差も考慮されない。
また陸上競技は「採点競技」と違って、素人目でもわかりやすく、審判の不正やごまかしが効かない。そして階級制度が存在しない公平な競技だ。
レスリングや柔道のように、同じ種目なのに体重別で何人ものチャンピオンが存在することもない。
陸上競技は背が低かろうが、高かろうが条件は同じ。また体重も関係ない。体系的に向いてない人は他の競技にどうぞ、といった徹底した公平なスタンスだ。
チャンピオンは一人しかいらないのだ。階級制度の競技は「パラリンピック」だけであってほしい。
もし「階級制度」が公平だと言うならば、陸上競技にも取り入れなければならない。身長差によってハードルの高さを低くしたり、身長が150㎝級や160㎝級、170㎝級の階級に分けて競技人口を増す。そしてチャンピオンを量産するしかない。果たしてそれで面白いだろうか?厳しいようだが現状は競技によってメダルの重みや公平さが違っている。
そしてオリンピックはルールがコロコロ変わる。
スキーのジャンプなどは日本勢が強いので、身長差によってスキー板の長さが制限され、長身選手が有利になってしまった。
今回のオリンピックのフェンシングは日本勢が強かったから、ルールが変更される恐れもある。
背の高い選手は「的が大きい」から突きやすく、背の低い選手は「的が小さい」から突きづらくて不公平だ。そんな理屈をつけてサーベルの長さを身長差によって変更。身長の高い選手は物干し竿のようなサーベル。かたや背の低い日本人は十手のような短いサーベル… (御用だ!御用だ!)…
あくまでも冗談だが、スキーのジャンプのようにあり得ない話じゃないのが恐い。
あと気になるのが、選手やアナウンサーの「日の丸を背負って」という言葉は止めてほしい。
多くの国民は選手達に国を背負わせてるつもりはないし、あくまでも「自身の為」だけにやってほしい。こっちだって勝手に感動してるだけで、例え結果が悪くても不利益が発生するわけじゃない。
もし選手が日の丸を背負ってるつもりなら、それは自意識過剰でおこがましい。負けて謝る必要などないのだ。 また各国のメダル獲得数のデータはあまり意味がない。人口の多い国が有利なはずで、人口も少なく、中には一人か二人の選手しか参加してない国もある。公平なデータなら人口比率で割ったデータも載せるべきだ。
オリンピックはとにかくナショナリズムが強すぎる。
俺にはそんなナショナリズムは無いから、誰が勝ってもかまわない。どんな人種であれ公平で世界一のプレイを見たいだけだ。
今回のオリンピックで感心したのは、女子柔道の「阿部詩選手」に勝った女子選手。
試合後の「なぜ喜びを表に出さないのか?」の記者の質問に「勝った喜びを出したら、偉大な阿部選手に対して失礼ですから。」と、まさに対戦相手に敬意を示した対応。勝負はもとより「武道家」としての振る舞いも、完璧な阿部選手の完敗だった。
柔道続きで言えば、柔道の斉藤立選手の生い立ちは悲しかった。偉大な柔道家の父を持つ斉藤選手は、幼い頃から「柔道漬けの毎日」が嫌で嫌で仕方なかったらしい。真に柔道に目覚めたのは偉大な父が亡くなってからだったとのこと。
彼の人生を想像するだけで涙が出る。試合に負けたとはいえ彼はオリンピックに出場した成功者だ。とはいえ、人生を賭けてオリンピックに辿どりつけなかった選手は一体どれぐらいいるのだろう?
幼児の頃から自分の意思じゃない、親のエゴでオリンピックを目指す選手がいないことを願う。