奇妙な出来事

                                                                                                           2026/07/20





トップページの「悪魔の正体」を読んだ人なら、赤村プロの異常さはわかると思う。因縁や怨念などの、非科学的な現象を信じない人もいるかもしれない。ただひとつ確実なのは、未だに多くの人間が恨みを抱いている事だけは100%の事実なのだ。

俺の周りには昔から、奇妙な出来事とがまとわりつく。赤村プロもそうだが、子供時代から普通じゃない村で育った。
最近はテレビで、昭和と令和の常識の違いを検証する番組があるが、俺の育った田舎の地域はムチャクチャだった。

まず学校では暴力が「躾」として横行していた。教師の暴力は許され、小さなミスでもビンタは当たり前。本人に責任がなくても「連帯責任」で体罰を受けた。特に男子は体罰を経験しない生徒は皆無だった。

授業が終わるまで、満タンに水の入ったバケツを持って廊下に立たされる。教師にマジックで顔に落書きをされ、翌日まで消してはいけないという罰もあった。驚くのは小学2年生ですら、教師から顔面への鉄拳制裁を受け、顔面が腫れ上がっている子供もいた。とうに戦争は終わったのに学校ではまだ「軍隊の形式」が色濃く残っていた。

そんな暴力は蔓延していて、女性教師ですら生徒に手をあげた。中学に入学しても、教師の生徒に対するパワハラは酷かった。教師にアダ名を付けられる事も多く、クラスに同じ名前の生徒がいると、担任から呼び名を変えられた生徒もいた。クラス全員の前で、担任から「団子っ鼻」とアダ名を付けられた女生徒もいた。

もっと酷かったのは音楽担当の男子教師だった。授業そっちのけで、いつも朝鮮人蔑視の講義をしていた。「朝鮮人は臭いんだ。」「朝鮮人は縄をまたいで糞を拭くんだ。」などなど、信じられないほどムチャクチャだった。現在ならクビだろう。そんな人権意識も低く、教師から親の悪口を言われた生徒もいた。すぐ近所には泥棒で逮捕された教師もいた。
それでも教師は絶対的で、地域もそれを許していた。今なら断罪できる事案は数百以上じゃ足らない。

そんな常識やモラルの無い地域には、知的障害者が多かった。小学校には「特殊学級」と銘打たれた教室があった。だが、その学級にすら入れない子供は辺りを徘徊していた。それよりも危険な子供は家で監禁されていた。
文字の書けない大人は、村の選挙管理委員に利用され、別の候補者の名前を書かされ、格好の餌食だった。当時は今現在では差別用語になる用語が、当然のように使われていた。

俺の父は神主という職業柄、善人を演じなければならず、お人好しの父は村民から利用され、騙されて土地まで搾取された。祖父の代から神主としての最低補償金も、村からは支払われず、家はいつも貧乏だった。
それでも「無償保育所」を開き、地域には貢献していた。ヤクザに追われた一家を数か月かくまって救った事もある。また貴重な資料をなげうって、ある一家を救った。それでもその一家は、事が済めば父や兄の仕事を妨害した。 この地域にとって神社は利用するもので、宗教的な意味合いなんて全く無かった。そんな辛い目にあっても、職業柄両親は我慢していた。

田舎の人間のいやらさなんて、こんなもん。神主の足元を見て、神社を食い物にして不正を働き、神主には清廉潔白を求める。俺はそんな田舎の人間の、ズル賢さを数々見てきた。
子供時代から俺は友達からも「お前の家は村の持ち物なんだ」と言われ続けて育った。世間体を気にしながら、善人を装う両親のストレスは半端じゃなかった。そのストレスの「はけ口」は俺だった。肉体的にも精神的にも、俺の心は荒んでいった。学校でも不良として殴られ、家でも親の顔を汚したと制裁された。

俺が他の兄弟よりも両親の数々の苦悩を知ってるのには訳がある。それは俺は幼児期から負の記憶力が異常なのだ。自分でも不思議なのは、俺は言葉の話せない乳幼児の頃の記憶さえある。両親はそんな乳飲み子が近くに居ても訳がわからないだろうと、度々大喧嘩をしていた。俺はそんな話の記憶さえあるのだ。後にその話は事実だとわかるのだが、自分でも不思議だった。

そしてこの村には変人も多かった。親がこづかいをくれないと、恨んで自分の家に放火した男や、タクシー強盗をして、返り討ちにあって死んだ男もいた。夜中に墓場を徘徊する女や、眼が合うと攻撃してくる人間もいた。そして実家の半径300メートル内では坊さんを含め、7人が自殺している。それも50戸ほどの集落内でだ。その奇妙な状況は大人になっても変わらなかった。

上京して入ったアニメ会社の赤村プロは、まともじゃない会社だった。後にアニメ業界を揺るがす大事件を引き起こす。(トップページ参照)
そして、赤村プロはまともな人間じゃない人間が多くなっていく…

まるで子供時代のコピーのような負の経験だった。
また私生活でも見ず知らずの障害者に、からまれる事も多かった。 自分自身が少し奇妙だと思うのは、子供時代から俺の周りにはずっと奇怪な人間が付きまとう…
上京すれば危険な赤村プロとの関わり。まるで因縁や怨念が、渦巻いてるとしか思えない騒動…(トップページ・悪魔の正体参照)
そんな不幸は続き、その後に実家は消滅…
前記したように村のデタラメな神社形態に、犯社組織が手を伸ばし、寝たきりの父が多額の借金を背負わされてしまう。兄弟はみな財産放棄して難を逃れたが、明らかな冤罪だった。俺は財産放棄を拒否して裁判で戦ったが、巧妙な手口だったため裁判で負けた。そして実家は消滅…そして俺には多額の負債だけが残った。
子供時代から続く不幸は、呪われてるとしか思えなかった。いろんなトラブルで頭が爆発しそうな毎日だった。ストレスで顔半分が動かなかった時期もあった。それでも俺が壊れなかったのは、それまでの不幸と真逆の幸運が、ある時に舞い込んだからだった。

その話の始まりは、子供時代にあった。虐待児だった俺の夢は、「苦しまないで楽に死ぬ」ことだった。」それでもなかなかそんな都合のいい方法は見つからなかった。
何故か死を願えば願うほど、死が逃げていった。小学生の時にはバイクと正面衝突、また走行中の車から転げ落ちてもかすり傷だった。中学生の時には、夜道で後ろから走って来た大型バイクに跳ねられて宙を舞ったが、バイクだけが壊れ俺は全くの無傷だった。

それともうひとつ、死の願望とは相反する夢があった。誰しも幼児の頃は達成不可能な無謀な夢を見ると思う。俺もその無謀な夢を見た子供の一人だった。
その夢は決して金では買えない夢だった。おそらくビルゲイツが全財産を注ぎ込んでも難しいだろう。そんな夢を俺は幼稚園時代から大人になるまで、変わる事なくずっと夢見続けていた。それが絶対不可能な事はわかっていながらも、その夢だけが心と精神の癒しだった。そんな夢の空想で、辛い現実から逃げていたのだ。

ところが、驚く事にその夢がある時、奇跡のような現実になった。内容は言えないが、おそらく誰が聞いても驚くだろう。だから俺は何があっても生き延びて来れた。
今も金は無いが、精神だけは大金持ちなのだ。それまでの多くの不幸と奇妙な出来事のつじつま合わせの褒美なのか、何を意味するのかもわからない。そんなどんでん返しがあった。
もしこれがなかったら、俺は運命を呪い、自暴自棄になって、今頃は罪人にでもなっていただろう。それぐらい自分自身が恐ろしかった。
そんな不思議な経験があったから、俺は雑草プロの後輩達に、歯が浮くような言葉をよく言っていた。「思いが強ければ強いほど願いは叶う。」キザったらしいセリフだが、本心からの言葉だった。

俺の波瀾万丈な人生には、何か見えない力が動いたとしか思えない。それが何かはわからない。ただ、俺をずっと護ってくれたのは、とうに亡くなってしまった、父方の祖母だったような気がする。俺は何度も人生の危機に陥ったり、命に関わるような事故が何度もあった。その都度祖母の顔が目に浮かんだ。

俺の両親や兄弟は、離れで暮らす祖母とは犬猿の仲だった。父は祖母と関わる事を禁じ、誰も祖母と会話すらしなかった。 ところが、俺だけは何故か幼児期から祖母が大好きだった。親にどんなに祖母との交流を禁止されても、親の目を盗んで、よく祖母の離れの家に行った。
祖母と父との関係は最悪だった。祖母は父からどんなに口汚く罵られても、一切口答えしないおとなしい性格だった。そんな祖母の性格が豹変したのを初めて見たのは、俺が幼稚園児の頃、父から折檻を受けていた時だった。
俺の泣き声が聞こえたらしく、祖母が鬼のような形相で飛んできた。そして父に向かって、罵詈雑言を浴びせ続けた。初めて見た恐ろしいほどの、祖母の父に対する反抗の姿だった。そして俺を護ってくれた。そんな事は俺だけで、祖母は他の兄弟には決してしなかった。

後に叔父から言われた事がある。祖母にとって俺は特別だったらしく、叔父にはいつも俺の話をしてたらしい。一方俺は祖母に対して、特別な事をしてたわけじゃない。ごく普通におばあちゃんとして接していただけだった。
たぶん俺と祖母には、何かしら強烈な見えない糸で繋がっていたのかもしれない。
俺の波瀾万丈な人生にしろ、赤村プロの因縁めいた不可解な出来事も、見えない力が動いたとしか思えないのだ。

皆さんはどう感じるんだろ?