さよなら馬鹿な弟

                                                                                                           2015/03/05





昨年入って来た鳩山(仮名)が辞める日の夜。

鳩山「柳田さん、俺昼休みにN川と会いましたよ。」
鳩山が言うN川とは、数ヶ月前にここを辞めて行った青年だ。

俺「そうか、N川に会ったのか? 何でまたこの辺をチョロチョロしてたんだ?」そう聞くと、「知りませんよ、あんな奴のことなんか。」鳩山が吐き捨てるように言った。
「んっ…」何か変だ…性格も穏やかで真面目な鳩山がN川を「あんな奴」呼ばわりしている…少し変だと思って事情を聞いてみた。

鳩山「アイツ、俺より後に入って来たくせに、初日に俺の所に来て、僕は鳩山さんより絵は上手いですから、なんて言いやがったんですよ。」不愉快そうにそう言った。
鳩山が続ける。「俺の事なんか何も知らないくせに初日にそんな事言ったんです。とにかくアイツ、俺に対抗意識持っちゃって、ホラばっかり吹くんです。自分はデザイン学校出たとか、アニメに関しては俺より上だとか、本当に嫌な奴でした。」とオカンムリ。

鳩山がそう嘆くN川は、ここに来た当初は自信満々で「僕は最低最悪でも作監になりますから。」と豪語した男だった。(直球対直球参照)

俺「そうか、鳩山にはそんな対応だったのか…ところで、N川に声をかけたのか?」
鳩山「いや、あんな奴に声なんてかけませんよ。向こうは俺の顔を見るなり、慌てて服で顔を隠したんです。だから俺も知らんぷりしてたんですけど、アイツの後ろの建物のガラスにしっかりと顔が映ってましたけどね。」
N川は全く使い物にならず、ここを追われるように去って行った男だ。きっと鳩山の顔を見てバツが悪かったのだろう。

鳩山「アイツ、俺にはここのスタジオが悪いとか散々批判してましたよ。俺だとおとなしいから告げ口されないと思ってたんですかねぇ…」

それは初耳だった。確かにここは一流プロじゃない。だが、N川には全く教えようが無かった…
彼は「足し算」が出来なかった…
セルワークのAセル、Bセルの意味合いすら、何度教えても理解出来ず、最後は教えてる人間が音をあげた。
2カ月間の練習期間を経て、無理やり本番の仕事をさせたが、1ヶ月にたった19枚の動画しか描けなかった。挙げ句の果てにその19枚の合計枚数すら間違えた。
最初の頃は威勢良く豪語していたN川だったが、徐々に口数も少なくなり、最後の頃は暗く沈んで別人のようになっていった。

俺「そうか、俺は自分の不甲斐なさに悩んでると思ってたけど、このスタジオのせいにしてたかぁ…」
鳩山「散々言ってましたよ、怒られるからテンションが下がるんだって。」
俺「そう言うけどな、まさか足し算ぐらいは出来ると思ってたんだよ。物が覚えられないんだから教えようがなかった。」

一生懸命手を尽くしても、駄目な奴は他人のせいにして人を恨む。ここでは毎度の事だが、俺は割に合わない。

そういえば、N川とはこんな事もあった。
N川「この書類に会社のハンコを押して下さい。」N川の持って来た書類に目を通すと、それは年金の書類…それもN川の名前じゃない…
俺「んんっ…これは君の名前じゃないね…何これ?…」
N川「いえ、母親が会社のハンコを貰って来いというものですから。」
俺「いや、おかしいよ。この書類は君とは関係ないし、こんな書類持って来たのは君が初めてだ。」
N川「そう言われても、母親が必ずハンコを貰って来いと言うものですから。そう言われましても、僕としては困るんです。」N川は納得しない。
ああでもない、こうでもないと、何人もの会社の人間まで巻き込んでの騒動。後に全く関係のない書類だと判明したが、N川はそんな変わった奴だった。

話は戻って、俺「その後どうしたんだ?」
鳩山「アイツですか? 、俺に顔を見られないように路地裏に消えて行きましたよ。」そう言う鳩山も今日でここから消えるのだ。そして今日の鳩山は妙に明るい。

俺「何だよ鳩山、今日はスゲエ元気じゃねえか、お前が元気だったのは最初と最後だけだな。」そう冷やかすように言うと、鳩山は「そうですかぁ?」とニヤニヤしてる。

俺「俺はなぁ、今のような鳩山を期待してたんだよ。明るく饒舌な鳩山をなっ。それが何だい、中だるみで暗い人間だったぞ。」
鳩山は照れくさそうに笑った。

俺「またどこかで知らないジジイにブン殴られたら、ここに報告に来いよ。」
鳩山「ええっ!、嫌ですよ。」と鳩山は笑った。
そうなのだ。鳩山は通勤途中に障害のある男に襲われるという過去があった。

そんな笑い話をしながら、鳩山と思い出話にふけっていたら、鳩山が終電に乗り遅れてしまった。
鳩山「始発が出るまで会社に居ていいですか?」
俺「しょうがねぇなぁ、一人じゃ寂しいだろ?、俺も一緒に付き合ってやるよ。」

俺は自転車通勤だから帰れるのだが、鳩山の暇潰しに始発の5時まで付き合うことにした。
楽しい時間だった。鳩山といろんな話ができたし、お互い酒も飲んでないのに話が盛り上がった。
鳩山の本当の性格は明るい性格だった。最初の頃はいつも笑顔でヘラヘラ笑っていた。ヘタをするとコイツふざけてるんじゃないかと思うぐらいヘラヘラしていた。

ところが、いざ本番の仕事に突入すると性格が一変した。どんよりとした空気を醸し出しながら、机に向かって作業している。その姿はまるで修行僧のように、何かに苦しんでるようにも見えた。
アニメーターなんてこんなもんだ。決して華やかじゃないし、縁の下の力持ち。孤独に悩みながら仕事を覚える。苦しまない奴なんて上達しない。
そんな鳩山が心配になって時々声をかけたが、帰ってくる笑顔は、あきらかに作り笑いだった。

それでも俺は仕事で鳩山に遠慮はしなかった。鳩山は散々俺に怒られたし、怒鳴られもした。それでも仕事が終われば、鳩山は何故か俺を慕ってくれた。
鳩山「だって言われて当然だと思いましたもの。」
俺「俺が怒るのはなぁ、君らを護れなくなるからだ。護りたいから怒るんだ。」
鳩山「だから最初は何て元気のいい人なんだって、ビックリしましたよ。ウチのおばあちゃんなんて腰が曲がって…」と、話は続いたが、…そうか!、俺は鳩山のお婆ちゃんとさして変わらない年齢か!。そんな何気ない会話の時にあらためて自分の年齢に驚く。

自分自身は30代のつもりでいる。おそらく雑草プロの連中も、俺を実年齢とは見てないだろう。
そう!、俺は「ジジイの皮を被った若武者」なのだ。
図々しいようだが、中に居る人間に対しても「兄貴分」と思いながら接している。そして時には幼稚でくだらない事もする。

南がまだ新人の頃、南の自転車のサドルにウンチの絵を描いた。すると帰宅した南から届いたメールに「小学生ですか!」と書いてあった。今でも時々社内の土条が、俺のイタズラのターゲットになっている。

鳩山だって俺をジジイだとは思ってないだろう。そんな鳩山と二人っきりの深夜の会社。
俺は鳩山に正直に何でも話す。鳩山も俺には人に言えないような話もしてくれる。
鳩山「これは誰にも話さないでくださいよ。」
俺「わかった。」

そんなお互いに包み隠さない話で盛り上がった。

俺「何か腹減ったなぁ…」そう言いながら会社の冷蔵庫を漁ると、冷凍餃子があった。(もちろん俺が買った物)
台所からホットプレートを引っ張り出して、鳩山と一緒に餃子を焼いて食った。

二人っきりのささやかな鳩山の送別会。食った物はささやかだったけど、鳩山との会話は豪華料理だった。
やっと鳩山という男が理解出来た頃、その鳩山はここを去る。

鳩山はここに来てから、鳩山なりに悩んで仕事した事だろう。でも鳩山はアニメーターには向いてなかった。それは鳩山には「やりたい事」が多すぎた。
アニメーターは何足ものワラジを履いて出来る仕事じゃない。
鳩山「今までいろんなバイトをしましたけど、ここまで仕事が出来なくて、うちのめされたのは初めてですよ。」苦笑いしながら鳩山が言う。

俺「これからどうするんだ?」
鳩山「とりあえず金がキツいんでバイトして、それから今後の事は考えます。」
自宅通勤の鳩山はまだまだ甘い。それより早くやりたい事を一本に絞れ。
夜も白々と明けて来た頃、鳩山と俺は会社を後にした。肩を並べて途中まで鳩山を送った。鳩山はアニメーターとしては全く役に立たなかった。それでも一人の人間としては面白い奴だった。そんな様々な雑草達との出会いと別れ。雑草プロは嫌な事ばかりじゃない。コイツ等と俺は未だ青春時代を楽しんでるのかもしれない。

俺「じゃあ、いつかまたどこかで会えたらなっ。」俺がそう言うと、鳩山はいつものヘラヘラした笑顔で軽くうなづいた。
鳩山との最後は「馬鹿で可愛い弟」がどこかに旅立った。そんな思いだった。

鳩山、大丈夫だ。君はライバルに勝ったのだ。「足し算の出来る」君の未来は明るい。頑張れよ。