プライド・レジェンド

                                                                                                           2015/03/26





寝ていた早朝にケータイが鳴った。
眠い目をこすりながらケータイを見ると、雑草プロの襖(仮名)からのメールだった。
朝早くから、何事かと思って読んでみると、その内容は退社願いだった。

襖は四十六歳で独身の新人動画マン。一年前に雑草プロに来た男だ。
メールの内容を要約すると、金に困ってるから仕事が続けられない。退社は会社との契約で2ヶ月前に通告する義務があるが、残りの2ヶ月間をまっとうしたくても電車代が無い。
そこでいつものように、母親に援助を求めたが、断られたとのこと。
(このあとがヒドい…)

急に援助を止めるなら、もっと早くから言ってくれるべきだと、母親を責めている。そして「見通しの悪さ」は母親譲りだとも書いてある。
(四十六の男としてはあまりにも情けない…)
そういった事情で、最後の2ヶ月間の仕事をまっとうしたくても出来ないから、2ヶ月間は会社に寝泊まりさせて欲しいという申し出だった。
もしそれが不可能なら、会社近くに住む同僚の粒焼氏に頼むつもりですと、書いてあった。(図々しいにもほどがある…)
そして彼には昨夜その事を「予告」してあるという。(予告って何だ?…)

俺はあまりにも自己中心的なメールに驚いた。
とりあえず会社に出勤して、昨夜相談された粒焼きを別室に呼んで話を聞いてみた。

粒焼「そうなんですよ、夕べ突然電話がかかってきて、交通費が無いから、2ヶ月間住まわせて欲しいって…」
俺「そうかぁ、2ヶ月はキツいよなぁ…せめて1ヶ月が限度だよなぁ。」
粒焼「いや、いや、1ヶ月だってキツいですよ!」粒焼が慌てた。
粒焼「あと…」粒焼がそう言って言葉を飲んだ。そして困ったような表情を浮かべた。
俺「んっ? あと、どうしたんだ?」

粒焼が言いづらそうに、「襖さん…本気ではないと思うんですけど、もし駄目だったら、この辺は高層ビルも多いし、いっそのことって、何度も自殺をほのめかすんですよ…」
俺「ええっ!」俺は驚いた。
本心じゃないにしても、そんな事を言われた方は困る。同居も断れなくなる。
仕事を続けられない事を母親のせいにして、同僚に自殺をほのめかしてまで、自分の後始末をまっとうしようとする。

これが四十六歳の男がする事か! それも襖は元「教師」だΣ( ̄□ ̄)!
彼はここへ来るまで、小学校の教師をしていた人間なのだ。
呆れ返ったと同時に、こんな道徳心の無い人間に子供達が指導されていたのかと思うとやるせなくなった…

俺にとって彼を「見限る」材料は充分だった。
彼と話し合う必要も無いし、何かを考慮する事も無い。
そこで彼には2ヶ月間居なくてもいいから、数日後の締め日で退社して結構だと伝えた。
それでも腹の中がムシャクシャするので、彼にメールを送った。

【今回の件に関して】
君がアニメを辞めることを状況や他人のせいにしちゃいけない。
メールにあった見通しの甘さは母親ゆずりじゃない。(母親に失礼)
それから「例え冗談でも」粒焼に自殺をほのめかすようなことは言ってはいけない。そもそも粒焼に甘えること事態が間違っている。
駄目な人間は全てを状況や他人のせいにするんだ。
君が辞めるのは、君に才能が無い事意外に何もない。それを認めない限り君は変われない。
それだけは言っておきたい。

以上、それが俺の彼に対する締めくくりの言葉だった。

俺は彼がアニメーターとして成長しない事は最初からわかっていた。
四十五歳からアニメを始めるには、あまりにも遅過ぎる。奇跡が起こらない限り無理だと思っていた。
それでも本人のアニメに対する情熱は熱く、自宅から毎日二時間以上かけて通勤していた。その交通費を少しでも浮かす為に、途中駅で下車して毎日二駅歩いて会社の往復をしていた。
最終電車に乗り遅れると、近くの公園で野宿した事もあったようだ。
その頑張りに俺は、どうせ無駄な労力を使う事になっても、本人にやる気があるならば、本人が納得するまで付き合おうと思った。
その熱意に対して俺は、彼だけ昼出勤の特例を与えた。そして自宅が遠い彼の為に、会社で自炊して毎日の夕食も差し入れた。

彼はどちらかと言うとアニメオタクの部類だった。
かなりのアニメの雑学は知っていたし、年齢的に昔のアニメにも詳しかった。
俺が青春時代に描いていたアニメを、当時子供だった彼はリアルタイムで見ていた。
昔のアニメに限らず、当時の世相やヒット曲などが通じるのは、雑草プロでは彼だけだった。そういった理由で、彼に多少の親近感を感じていた。
教師を辞めて都内のアニメ学校に通い、卒業してから彼はここに来た。教師の職まで捨て、そこまで彼を魅了したアニメとは一体何だったのだろう。

だが、その彼の熱意とは裏腹に彼は全く成長しなかった。
年齢的にも性格的にも彼は頭が固い。全てが理屈や理論が通ってないと、考え込んでしまう性格だった。
元教師という職業柄なのか、アニメの算数的な事は出来ても、アニメのディフォルメ的な事柄には頭を抱えた。そして重箱の隅を突つくような事柄に異常なほどこだわった。
そんな彼の成長を妨げる要因は、もうひとつあった。

それは彼の「プライド」だった。

周りの仲間はみんな自分より歳下だ。親子ほど年齢が離れた同期の人間も居る。また俺を除けば、先輩は全員自分よりも歳下だ。
それまで四十五年間生きてきた彼の人生の「プライド」もあったことだろう。その上、元小学校の「教師」というプライドもそれに加味されたことだろう。

教えてもらう人間はみな歳下だ。多少の気持ちはわかるが、その「プライド」が全てを邪魔をした。先輩に聞けば数秒でわかる事も聞かない。自分の誤った判断で仕事してボツになる。彼には「素直に吸収する」という事が欠けていた。
そういった事を何度となく注意したが、彼は変わらなかった。自分のやり方を決して崩さずそれを押し通した。

彼は老眼なのか、細かな絵の作業は「虫眼鏡」を使った。また眼鏡を二本かけて仕事をしていた。
俺「襖君、眼鏡を二本かけて仕事するって事は、眼鏡の度数が合ってないという証拠だから、新しく眼鏡を作りなよ。」
襖「一応見えますから大丈夫です。」
俺「でも仕事で使うんだ、考えてみなよ。」
襖「いえ、私はこれが一番しっくりくるんです。」と、何事も自分のスタイルは譲らない。

そんな訳だから、彼は技術的にも同期の新人達にかなりの遅れをとっていた。
仕事が終わりそうもない時でも、彼は歳下の担当者に「必ず終わる」と報告した。その言葉を聞いて担当者が安心して帰ると、その直後に別室に居る俺の所に来て「終わりません。」と言いに来る…
アップ日の仕事も必ず落とし、自分は早々に帰宅して、周りの先輩達が深夜まで作業するという事が度々だった。

彼は雑草プロの「お荷物」だった。彼の作業する仕事量そのものよりも、彼の仕事のチェックと尻拭いの手間暇の損失の方がはるかに大きかった。
それでも彼を引き受けて、仕事をさせてる以上は、俺にも責任はある。

そんな彼と俺とが、かろうじて繋がっていたものは、彼のアニメに対する熱意だけだった。
問題の多い彼ではあったが、毎日二時間以上かけて通勤する熱意だけは認めてやらなきゃいけない。
俺「君が食えるアニメーターになれるかどうかは、俺にはわからない。でも君が一生懸命仕事を頑張るなら俺は協力するし、原画へのチャンスだって与える。」そう言って励ましていた。そうして一年が経過していった。

だが、アニメーターとして成長も無く、度重なる彼の失態と、報告ミスに、俺は彼の特権を取り上げた。
「読みが甘く、仕事が毎回そんなに遅れるなら、明日から重役出勤は止めて、みんなと同じ時間に出勤してくれ。」
そう伝えた翌日に彼から突然の「退社願い」のメール。それも自分本位の身勝手なメールだった。そこには何故アニメを辞めるのかさえ書いて無い。「潮時」という単語で片付けている。そして感謝の言葉も無い。

果たしてあのメールの「真意」は一体どこにあったのだろうか?さて、ここからが「推理」だ。一緒に考えてみよう。

自宅通勤の彼が、もし会社か同僚の所に居候が可能になったとしよう。だが、その交通費が浮いたとしても、今度はその浮いた交通費は食費や雑費で消えてしまう。自宅通勤の彼にとっては全く意味のない事だ。そんな矛盾もある。
それとも食事まで粒焼きの世話になろうと思ったのだろうか?
「お腹すいたなぁ…」とプレッシャーをかけて。

それとも2ヶ月間会社で責任をまっとうするのが嫌で、自分が窮地だという事をアピールして、すぐに辞められると思ったのだろうか?
いやいや、それではあまりにも男が下がる。
それとも、人間性を疑われる事まで覚悟して、クビ同然の早期退社を狙ったのだろうか?。それもプライドの高い彼が、そこまでするとは思えない…そうした疑問も残る。

それにしてもかなり歳下の同僚に、自殺をほのめかして「生き恥」を晒してまで、最後まで仕事をまっとうしようと思ったのだろうか?
たった数万円の交通費が捻出できないという理由だけで、大の大人が自殺まで考えるだろうか?
もしそれが「脅し」だったとしたら、それを言えてしまう神経がわからない…
もし俺だったら、自殺をほのめかして、生き恥を晒すぐらいなら、「定期代」をサラ金で借金する。そして男のケジメとして、最後まで仕事をまっとうする。
それとも、あのメールに裏の意味などは無く、彼は本物の大馬鹿者だったのだろうか?

彼の性格を知るうえで、面白い事がいくつかある。
襖「私は小学生には好かれるんです。話もよく合うし、アニメの話で一緒に盛り上がれるんですよ。」彼のそんな言葉を思い出す。

同僚の女子の言葉。「柳田さん、襖さんって、ナルなんですね。」
俺「何だそれ?」
女子「だって、掃除の時間に襖さんに声かけたら、了解って言って、ピースサインを額に当てて投げ返してきたんですよ。」
俺「そうかナルシストって事か、俺は今時クサ過ぎてできないな。」
女子「でしょっ?」

彼が入って来た当初はかなりの「自信家」で、自分が知っているアニメ雑学の知識が、自分の技量だと完全に勘違いしていた。俺はそこそこ出来るんだ。そんな空気を醸し出して仕事をしていた。それが徐々に崩れ落ちていった。そして彼は、仕事の上達よりもプライドを優先した。

こうして不快な問題も、「人間推理」として楽しむのも俺の流儀。

さて俺の結論はこうだ。
彼はアニメーターとして、嫌というほど挫折と自分の無能さを思い知ったに違いない。そして度重なる失態で重役出勤の「特例」を取り上げられ、彼のささやかなプライドが反応した。それがキッカケで、今まで溜まっていた卑屈な思いが限界を超えてしまった。
自分がアニメーターに向いてない事は、彼自身が一番感じていたはずだ。だが、それを口に出すのは彼のプライドが許さない。そこで辞めるにしても自分の意思ではなく、周りの状況のせいにしたかった。自分を悲劇のヒーローとして。

早い話、いち早くこの場から逃げ出したかったのだ。
ところが、つじつまの合わない幼稚な策略だった為、悲劇のヒーローどころか、ダーティーなヒーローになってしまった。

そんな俺の推理が当たってるかどうかは別として、彼の引き際は完全なる敗北だった。アニメーターは精神も強くなければ続かない。素直じゃないと上達もしない。
彼のように理屈や理論「だけ」で考える人間は、大切な人の心まで、計算づくで片付けようとする。
正直に「自分の限界を感じました。」と言って、小細工さえしてなければ、周りを巻き込む事もなく、円満退社できたはずだ。最後まで彼のプライドは自らの人間性までをも否定してしまった。

俺は思う。彼は彼なりに頑張った事実までは否定しない。だが引き際がこれでは全てが水の泡だ…彼は一年間のアニメーター生活をどう総括するのだろう…
その彼はアニメ作品に一度も名前が載る事も無く、一切アニメ史に形として残る事も無く消えていく。

雑草プロの歴史にだけ、彼は伝説を残した。
四十六歳の「プライドのレジェンド」として。