シャボン玉

                                                                                                           2015/06/04





土条が退院して仕事に復帰した。病気の方は大した事もなく完治したようだ。ちょうど一週間の休みだった。
土条が居ない間はレギュラー陣が、よく頑張ってくれた。
だが土条の復帰と同時に足立が去って行った。土条の突然の入院で、退社を一週間延ばしてもらっていたのだった。

足立はこの雑草プロでアニメーターとしてのスタートを切って、三年四ヶ月の間ここで頑張って去って行った。
足立は足立なりに頑張ったと思う。両親の住む都内の自宅から、毎日一時間以上かけて通勤していた。
アップ日に仕事が終わらず、みんなで手伝った時には、悔し涙を浮かべながら帰って行った。そんな頑張り屋だった。

ここに来た当初の足立は、トレスすらした事が無い、全くの素人だった。それでも本人の頑張りでレギュラー陣の仲間入りした一人だった。とにかく原画を描きたいという思いは強く、仕事に対しても責任感のある女の子だった。
その後は第二原画になり、今年の年明けには俺と二人でこんな話し合いをしていた。
俺「足立、やっばりな、アニメーターはレイアウトから描かないと真の原画はわからないんだ。このまま第二原画で経験を積んで頑張って、来年の頭からはレイアウトから描いてみよう。」
足立「はい、頑張ります。」
俺「必ずそうするから頑張れよ。」
足立「ありがとうございます。頑張ってみます。」

この時の足立はやる気満々で、よもやリタイアするなんて思ってもいなかった。
あまりの急展開に、彼女の心の中でどんな葛藤があったのか、本当の事は俺にはわからない。
そしてそれを知りたいとも思わない。知ったところで、俺にはどうする事も出来ないからだ。

足立の上司として、またアニメーターの先輩として言うならば、足立にはもう少し居て欲しかった。
だが、対等で同じ立場の人間として言うならば、足立は辞めて正解だったと思う。
俺は正直者だ。ハッキリ言って、足立は技術的にも性格的にも、一流のアニメーターにはなれなかっただろう。その日の感情に流され、その感情の起伏によって、仕事のあがりも性格も左右された。

何の世界でもそうだろうが、一流に成る人間は強い。いい意味で、自分自身とも他人とも闘わなくちゃならない。足立は真面目だったが、気の弱い剣も無い丸腰のアニメーターだった。
それでも足立に剣は似合わない。普通の女性に戻って、新たな人生を歩んだ方が幸せかもしれない。
俺や南は変わり者だし、目的も違う。普通の女の子はアニメ界に居ちゃいけない。
足立のリタイアは残念だが、本人のことを思えば、反面その方がいいと思ってる。

そんな足立はアニメの「タイガー&バニー」の大ファンだった。
近くのゲーセンで足立の為にタイガー&バニーのフィギュアをUFOキャッチャーで取ってプレゼントした事がある。
最初は何個か取ってみたものの、そのうち意地になって全種類ゲットしたくなってしまったのだ。
そして毎日昼休みはゲーセン通い。全部で三十数種類のフィギュアをゲットしようという、無謀な挑戦が始まった。
そして、あとニ個でコンプリートという時に商品が無くなってしまった…
いい歳をしたオジさんが毎日ゲーセンでUFOキャッチャーやってるものだから、店の人間にはタイガー&バニーオタクと勘違いされてしまった。

ある日、街を歩いていると、突然ゲーセンのおじさんに呼び止められた。
「近々店を閉店するんです。良かったらちょっと来てもらえませんか?」そう言われて店まで付いて行くと、タイガー&バニーの大きなフィギュアを出してきた。「安くしときますから買ってもらえませんか?」
いちいち言い訳するのも面倒だったから、足立の為に買って帰った事があった。
足立「キャア~! コテツさあ~ん!」足立は大喜びだったが、オタクに間違われたこっちは、こっぱずかしかった…

足立は「コテツさん一筋」で現実の恋には全く興味がない。在籍中は二人の男が、足立に思いを寄せていた。そのうちの一人に告白されてたがけんもほろろ、不快感だけを示した。アニメのコテツさんだけにしか興味が無いのだ。
このオジさんはコテツと聞けば、プロレスラーの「山本小鉄」しか思い浮かばない。

足立がここを辞めて、何をするのかわからないが、雑草プロの思い出はいっぱい出来たと思う。ハイキング、遊園地、宴会などなどいろいろあった。
これからは「普通の生活」が出来る。そして現実の恋愛の方も頑張ってくれ。

足立の抜けた穴は新人達じゃ埋まらない。残念なことに毎年ここに入って来る新人は、レベルが年を重ねる度に悪くなる一方…技術的にも性格的にも信じられないぐらい落ちている…
先日も、殆どの新人が返事が出来なくて、俺に吠えられた!(しょっちゅうだ…)
返事と会話が出来る足立はしっかりした人間に見えた。ごく普通の性格の人間がよく見えてしまうアニメーターの世界…それじゃ駄目だ…
贅沢は言わない。一般的な感性と「言葉」を身に付けてくれ。そして足立ぐらいの技量は持ち合わせて欲しい。

足立が去った日は、最後にレギュラー陣達で寄せ書きを書いて足立に渡した。
この雑草プロでの出会いと別れは毎度のこと…俺がここに来て6年。必ずひと月に一人以上は辞めて行く。
足立が去っても、何故か寂しさもあまり感じない…
俺の感性もどこか狂ってしまったのかもしれない…

シャボン玉のようなアニメーターを見続けながら、それでも飛んだ一瞬の時間だけは共有してる。
いつか滞空時間の長いシャボン玉を見たいと願ってる。