80年代の友

                                                                                                           2015/05/16





久々に知り合いの元アニメーターのMさんからメールが届いた。
Mさんは葦プロ時代の同僚で、俺より少し年上の60歳を過ぎた女性だ。
Mさんはアニメを辞めて三重県にある実家に戻って、パートの仕事をして暮らしている。

そのMさんはずっと動画で現役時代を通した人だった。そしてその動画の作業は早かった。
Mさんの仕事は少々雑な面もあったが、動画作業の判断が素早く、手際も良く枚数を上げる人だった。
ちなみに「ミンキーモモ」の一話の馬のレースの走り回るシーンは彼女が描いた動画だった。
彼女はどんなカットが来ても、いつもポーカーフェイスで仕事を済ませ、毎日6時の定時で帰っていた。
欲が無いように思うだろうが、彼女の場合は俺と違って「給料」だったから、残業しても意味がなかったのだ。それでも給料以上の仕事はしていた。

俺が葦プロを辞めてフリーになってから、しばらくすると彼女もいつしか葦プロを辞めて、フリーで動画を描き始めた。
それからのMさんは、手の早い事もあって、葦プロ時代の給料よりも収入は多くなっていた。

80年代のアニメは、今よりもまだ「単価に見合ったアニメ」だった。
この当時のシリーズアニメの元請けの動画単価は、一枚160円が相場だった。(現在は250円)そして原画は1カット2500円だった。(現在は4500円)また当時は第二原画というシステムもなかった。 現在の方が確かに単価は上がっているが、三十年以上前の話だ。物価水準を考えると、はるかに現在の単価よりもいい。

また作業内容も単価に見合った水準だった。
当時は今のアニメのような複雑な影は無かったし、絵柄も今のようにゴチャゴチャしていなかった。今は細かなイラストの絵をそのまま動かしてしまう。アニメ特有の「省略の美学」もあまりない。

当時のアニメは今ほど理不尽な作画は求められなかったし、制作サイドもそのへんの「良識」は持ち合わせていた。
あまりにも単価に見合わないサブキャラクターが出来上がってくると、演出家の独自の判断で絵柄の複雑さを省く事もよくあった。
演出家「こんな絵を描いたら、原画さんも動画さんも大変でしょうから、この服の模様はカットして無くしましょう。」そんな作画の事を考えてくれる演出家や制作の人達も多かった。

出来上がった仕事に対して、それがあまりにも対価に見合わない仕事だった時など、プロデューサー自ら電話をかけてきた。
プロデューサー「柳田さん、昨日上がった仕事は、大変だったでしょうから、三倍払わせて下さい。」などという事もあった。残念ながら今は、そういった事は無い。

逆に今は、まともな事を提言する制作の人間は会社で浮いてしまうようだ。
ある大手の会社に優秀な制作進行が居た。その人はとにかく真面目で、手際も良く本当に仕事がやりやすい人だった。作画の事も考えてくれて、仕事に対しては中立的な人だった。
下請けに対してのあまりにも無謀な仕事の押し付けに対しても、防波堤になってくれる人だった。
「こんな大変な仕事は、人道的に倍付けで払わないと下請け会社が可哀想です。」と上司にも提言してくれる人だった。

ところが、まともな事を言われた上司や会社は面白くない。いつしかその進行がうっとおしくなってくる。そして数々の精神的なイジメで会社に居づらくしていった。
それでもその人はそれにもめげず、中立的な立場を取り続けたが、最後は力尽きてアニメ界から去って行った。

いつからかアニメを取り巻く環境と、人間も少しずつ変わってしまった。
そしてアニメソングが歌謡曲の衰退と同様に消えていき、アニメがデジタル化されて徐々にアニメも変化していった。
作品のクォリティーも高くなり、影や線も多くなって「対価以上の作業」を求められるようになっていった。いつしかそんな作品が主流になっていった。

アニメが段々メジャーな産業になるつれ、アニメーターだけが採算を度外視したクォリティーを求められ、アニメ分野の中では一番過酷な職業となっていった。
Mさんはいつしかそんなアニメ界に失望して辞めていった。

今の若いアニメーターが少し可哀想だと思うのは、セル画時代の経験が無いという事だ。
その時代はトレス線も勢いで引けた。今は絵が細か過ぎて勢いでは引けない。原画も動画もシコシコと、まるで黄金伝説の「チネリ」を作るかのようにチマチマと線を引いている。
そう描かないと原画も動画も描きづらいのだ。

また作品にもよるが、セル画時代のアニメとデジタル化された今のアニメとでは、今のアニメの方が倍以上の手間がかかるだろう。そういった金銭的な面でも今のアニメはキツい。
また強弱のある質感のあるトレス線を学ぶという意味では、セル画時代の方が学ぶ点は大きかった。

80年代はみんな貧乏でも、そこそこ食えた時代だった。今は食えない奴は徹底的に食えない。アニメーターは高価な「ペルシャ絨毯」を低賃金で作っている恵まれない子供達と、あまり変わらないと嘆く人間もいる。

振り返ってみると80年代が一番アニメに元気があったし、賃金的にも対価に見合った内容だったと思う。
そしてアニメが文化だ、芸術だと言われるようになってきてから、アニメ界はどこか変わってしまったような気がする。そして何か大事な物を忘れてきてしまったような気もする。

アニメを引退したMさんは、今でもセル画時代のアニメは楽しかったと言っている。
アニメはまさに手作業だったし、人間関係も作業内容も機械的じゃなかったと言う。Mさんとは時々酒を飲みにも行った。
ちなみに、このMさん、今やアニメ界では有名な人物の元カノ。おっと、こんな事言ったら怒られる(^^ゞ

メールで、柳田さんは当時の生き残りなんですから、頑張ってくださいよ。と励まされたが、そんなMさんは人間関係で悩んでる。
パートのオバちゃん達に精神的に揉まれ、嫌みを言われながらも頑張ってるらしい。
人間関係は雑草プロも同じ、いろんな人間が居るから難しい。

Mさんと俺の青春時代はSLで、今の若者達はリニアなのだろうから、いろんなギャップもある。
まさにアニメもSLからリニアに変わったのかもしれない。
だが、今のリニアはまだまだ乗り心地が悪い。SLの方が楽しかったなぁ…
そんなジジイの思い出話。