エビス様

                                                                                                           2015/04/07





今年の新人達は地方出身者が多い。そのうちの一人の女の子と話してみた。

俺「ところで、どの辺に引っ越して来たんだい?」
新人「はい、会社の近くです。」
俺「家賃はひと月いくら?」
新人「はい七万円です。」
俺「ええっ!」その金額に驚いてしまった。
俺「ちょっと高いんじゃない?」
新人「そうですか?、親が心配してここがいいだろうって。」
俺「お金持ちだねぇ…」…そうなのだ…新人のアニメーターにとって、七万円の家賃は暴挙なのだ。

それもこの女の子は、トレス経験も無い全くの素人…
この会社で七万円を稼ごうと思ったら「動画650枚」、第二原画なら「77カット」描いて、やっと手取りが七万円になる。(御同業者の方、笑わないで)
この数字は全くの素人には完全に不可能だ。万が一この数字が可能だったとしても、全て家賃で消えてしまう。
生活するには他にも食費、光熱費、携帯など雑費にも金がかかる。
面接の時に話は聞いているだろうに…

いやいや、この会社の面接は、そこをうまく煙に巻く。
「ここは出来高払いだから、描けば描くほど儲かる。」(…会社がね)
「原画だって一本描けば、かなりの額になる。」(いつの時代だ…今や不可能だ)
「みんな薄情だから自信が付くと辞めて行くんだ。」(五割以上引くのだから必然的)

そんなわけだから、俺はここに入って来る新人には正直に話す。
ここは業界一安い賃金体制だと、ハッキリ伝えてる。
それはしっかり話しておかないとトラブルの種になる。ネットに書いてある額と違ってるからだ。本人があとあとショックを受けたり、問題になった事もある。それよりも人としてフェアじゃないグレーゾーンに荷担はしたくはない。またアニメーターという職業がどれだけ大変かという事も、しっかり説明している。それともうひとつ。

俺「君等が今日ここに入って来たけれども、君等はまだここの一員じゃない。俺の話をよく聞いて納得した上で判断して欲しい。そしてこれから配る書類に判を押した時からここの一員になる。」そう言って、秘密保護法の書類と2ヶ月前の退社報告義務の書類を配る。
「今日一日じっくり考えて、納得したら書類に署名捺印して、明日持ってきてくれ。」と、面接時よりも詳しく説明して考える時間も与えてる。

俺は面接には立ち会わないから、毎年どんな新人が来るのか全くわからない。面接と言っても形だけで、実技テストも無い。
今年の新人は去年よりキツい。社交性の欠如した死んだ目のゾンビタイプが多い。典型的な根暗の「アニメ好きタイプ」
それでも俺としては贅沢は言わない。社交性の欠如した死んだ目のゾンビでも、中には上手い奴が居るかもしれない。そこで今回は独自に画力テストをしてみた。

…体が硬直した…
アニメ好きの中学生の方がはるかに上手い…
「ふざけんなよ!!」と怒る気力さえ失せてしまうレベル…茫然自失…時が止まった…
おそらく、ここ以外のアニメ会社では誰一人受け入れないだろう…

南を呼んで南にも見てもらったら、南の顔がみるみるうちに溶け出した…
まるで密閉された汲み取り式の便所で、マズい料理を食ってるような顔だ。
南も大体は想像していたようだったが、想像以上だったようだ。それよりも全く覇気が無く、陰湿で廃人みたいな新人達の空気にも驚いたようだ。

ここにはそんなレベルの人間が集まる。それはそれでかまわない。だが一番困るのは、このレベルで本人が自信過剰でプライドを持ってる事が一番やっかいなのだ。そこで南に俺の評価を新人達に正直に伝えてもらった。
俺の予感は的中し、みんなショックを受けたようだ。
俺にはその「ショック」の意味がわからない。ショックを受けるという事は、それなりに自信があったということ。
トレスもした事も無く、描く絵もお粗末な人間がショックを受けること自体がおかしい。駄目な奴は自分の画力の判断さえつかない。
曲がりなりにもここは「プロ」だ。あまりにもアニメをナメている。

例えばここをJリーグの下位チームとしよう。そこに入って来た新人が、先輩に技術力を指摘されて凹むようなものだ。まして奴らはサッカーをした事も無い「ド素人」
サッカーのワールドカップが始まると数多くの「にわか監督」が出現する。それと同様、アニメオタクや、その予備軍には数多くの「にわか監督」がいるのだ。
サッカーファンの場合は言葉を表に出し、発散させてるからまだいい。そして自分がそのプレーを出来ない事をわかった上で発散している。
ところが、「駄目なアニメーター予備軍」の場合は、自分が出来ると信じてる。「この程度なら自分でも描ける」と…
その勘違いはサッカーファンとは違って、決して表に出す事はない。陰湿な心の中で、自分が出来ると信じて「プロをあざ笑ってる」のだ。

自分の力を過信して、アニメを甘く見て、アニメをナメてアニメ界に入って来るそんな若者が多い。特にここは来る者拒まず体制だから、生きていれば誰でも入れる。
アニメを始めるならば、まず第一段階として「己の力を知る」こと。それを知らない限り上達もしない。
そこのところを正してやらないとスタートさえ出来ない。
中には最初は「とんでもないレベル」でも、稀にビッグになった人間を何人か見てきた。その奇跡を期待するしかない。ただし、そういった人間は言葉は話せたし、意志疎通もしっかりしてた。

今年は根暗のゾンビばかりで大変だ…

と、思ってた所、数日遅れて新人がまた入ってきた。話してみると、ハキハキ話す好青年。
俺「いやあ~君みたいに会話の出来る人間を俺は待ってたんだよぉ、会話の成立する人間が来て良かったよ。」
好青年「えっ!、じゃあ、他の皆さんは一体…???」
俺「みんな根暗のゾンビみたいな連中でさぁ。」

まともに会話が出来る嬉しさに会話が弾み、支払いシステムを詳しく説明しだすと、みるみる青年の顔が曇ってきた。
好青年「えっ!、4月いっぱい練習したとして、5月から本番の仕事に入ったとしても、そのお金が出るのは7月ですか!…いやあ~…想定外です、よもや7月とは…」と頭を抱え込んでしまった。

俺「…」
そんな話は面接で聞いてるはずだ…それにアニメーター志望なら、アニメーターの過酷さぐらいわかっていないとおかしい…そして半年、一年は食えないと覚悟して蓄えぐらいはないと…
好青年「いやあ、参ったなぁ、バイトしながらじゃないとキツいですよね?」
俺「バイトしながらは尚更キツいよ…」

なんてこった…まともに話せる奴はどこかヌケていた。最初の月から本番の仕事が出来て、すぐにでも生活出来ると思ってたらしい…アニメはそんな甘いもんじゃない。
となると、ああ、残りの素人のゾンビ達を相手に仕事しなくちゃならないのか…
気が滅入る…

「蛭子能収」氏の絵をヘタにしたような絵を描く新人達が「エビス顔」になる日は訪れるのだろうか?
せめて無表情の顔だけでも「エビス様」になって欲しい。

アニメの創世記じゃあるまいし、未だにこういった貴重なアニメ会社があるのだ。
「蛭子さん」が「エビス様」になれる事を祈って。