獅子舞とタップ

                                                                                                           2019/01/25





年末に江戸太神楽家元の兄の公演に行ってきた。
南と2歳になる南の娘のなつくちゃんとの3人で出掛けた。一番の目的は、なつくちゃんの無病息災を願って、お獅子に頭を噛んでもらうのが、一番の目的だった。

最前列に座り舞台が始まると、客席の後ろから兄を先頭に丸一の社中が舞台に上がってきた。ところが、お獅子の姿を見た瞬間、なつくちゃんは怖くて大声で泣き出した!
その泣き声はホール全体に響き渡った。南と一緒になつくちゃんをなだめたが、大泣きは全く止まらない…
しばらくなだめたものの、他のお客さんの視線と迷惑を察して、やむなく退場…
ロビーに出てしばらくなだめると、なつくちゃんの涙は止まった。

前年はまだ1歳で、物事がよくわからなかったから成功したが、2歳になると知恵も付いたのか大泣き°・(ノД`)・°・
再入場を何度か試みたものの、なつくちゃんは、「おしし、こわい!こわい~!」と大泣きして、断固入場を拒否。
お獅子がよっぽど怖かったのか、なつくちゃんの機嫌は、なかなか収まらなかった。

結局公演は舞台挨拶だけ見て、他の演目は何も観ずに帰ることになった。ロビーで兄嫁から菓子折りを貰って帰宅。
まあ、これも記憶に残るいい思い出だ。

俺が上京してアニメ界に飛び込んだ時は、この太神楽の兄夫婦の居候から始まった。
その当時の兄は、山手線の鶯谷駅近くに住み、芸名も現在の「丸一仙翁」ではなく、「鏡味仙寿郎」の芸名を名乗っていた。

当時兄が住んでいた鶯谷駅から、会社のある西武池袋線の桜台駅まで通った。それが俺のアニメーターとしてのスタートだった。
最初の仕事は創映社(現サンライズ)の「ゼロテスター」だった。
アニメもアナログからデジタルに代わり、恋愛も遊びもデジタル化しつつある。
そのうち太神楽もデジタル化して、ロボットが演じる時が来るかも(;゜O゜)
でも、面白くないだろうな^_^;

今年の正月は何も無く、家でゴロゴロテレビを見ていただけだった。
まだ実家があった頃は、正月は毎年実家で過ごしていた。
そんなある年に帰省すると、親父の知人で鉄工所の人が遊びに来ていた。
まだ俺も若く、何十年前になるんだろ?… 石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が流行っていた頃だった。
その鉄工所の人とアニメの話になって、タップを見せると、「へえ~、こんなチャチイ物が、そんな値段するのかねえ~…」とタップをしげしげと見入っていた。

アニメに詳しくない人の為に。タップとは、アニメの作業で用紙を固定する物。
説明しとかないと、タップを知らない「アニメ学校の卒業生」も赤村プロには居たからなぁ…(°∇°;)授業料250万円も払って…(T-T)

話を戻す。当時の俺は作業用のタップに少し不満を持っていた。
スタンダードの動画用紙を使ってる分には問題はなかったが、長セルや大判の用紙を使ってると、時々タップが外れるのだ。もう少し固定できればいいのになぁ、といつも思っていた。
そこで、これ幸いと思い、鉄工所の人に提案してみた。「このタップの3つの突起物をもう少し長くできませんかねぇ…」
すると、「こんなもん簡単だぁ、すぐに俺がタダで作ってやるよ。」と得意顔。
快く承諾してくれたので、俺はついでにタップの重さも、少しだけ重くしてもらうようにお願いした。
それはタップが少し重くなれば、安定も増すと考えたのだった。
鉄工所の知人は、「ようし、勤君が東京に帰るまでに持って来るよ。」と言って、俺のタップを持って帰って行った。

そして2、3日すると、鉄工所の人が特注のタップを持って表れた。
そのタップを見ると確かに突起物は長い。これで用紙は外れにくくなるはずだ。重さも少し重い。これで安定も増す。そんな思いで、内心ワクワクしながら、東京に戻って仕事を始めた。

                                
                                           (上が特注タップ、下は市販のタップ)


ところが、いざ作業をしてみると、特注の改良した部分がネックになってしまった。
大判に限らず、スタンダードの用紙ですら使い勝手が悪い…
まず、少し重いのでタップが、かろやかに回らない。(安定しすぎ…)
もうひとつの問題は、作業中にタップがトレス台からズレたり、用紙ごと落としたりすると、用紙のタップ穴が破れてしまう。
それは、タップが用紙から外れないのが原因だ。そのうえ重くした分、落とすと重力が尚更用紙に負担をかける…

改良どころか、頭だけの勝手な想像で作ってもらったタップは、使い辛いタップに仕上がっただけだったのだ…^_^;
それなりにタップも考えて作られてる事に気がついた。
こんなマヌケなタップ作ったアニメーターは俺ぐらいだろうなぁ…
今は使ってないけど、大事に保管してある。

この当時は、タップは別として、動画机を自作する事は度々あった。普通の机の天板に穴を開け、ガラスを乗せて作った事もある。
俺が新人の頃、会社の動画机が足らなくなり、自作する事になった。
ところが、天板の板がかなり厚くて、ノコギリを使っても全くはかどらない。
結局諦めて、近所の木材屋さんに運んでお願いした。
当時はグラインダーなどメジャーじゃなかったから、職人さんはノコギリを使って、あっという間に天板に穴を開けて完了。 職人さんにお礼を言って、「おいくらですか?」と、お金を払おうとすると、「いやあ~、こんなもんで、金なんて貰えないですよぉ、いつかもっと大きな仕事持って来てください。」と言って笑った。

知らない人間に対しても、そんなほのぼのとした人情が東京にもあった。
今は金があれば何でも揃う時代。俺も兄貴もアナログジジイ。それでもなんとか生きている。
そうそう、皆様、新年の挨拶としては遅いけど、今年は良い年を。