松本零士さんの災難

                                                                                                           2023/03/09





松本零士さんが亡くなった。

まず最初に、マスコミ報道では。「宇宙戦艦ヤマト」が、松本零士さんが原作者のような報道をされたが、それは正確ではない。
ヤマトが映画で大ヒットした頃、真の原作者は誰なのかを裁判で争って、原作者はプロデューサーの西崎さんにあるという裁判結果が出ている。

その裁判によると、 松本さんはキャラクターデザインなどの一部に関わっただけで、「原作者」ではないという結果だった。
おそらくヤマトの構想や話の筋は西崎さん側のものだったのだろう。

「キャンディキャンディ」も裁判で揉めたが、松本零士さんの主張が認められてしまうと、あの「ガンダム」もキャラクターデザインをした安彦さんが原作者になってしまうことになる。
原作と違って、キャラクターデザインの場合は、著作権が無いから、大きな問題だろうが、これもヤマトが大ヒットしたからだろう。

そんな裁判結果から、それ以降、松本さんが「宇宙戦艦ヤマト」の続編を作りたくても、西崎さんの許可を取らなくてはならず、後に苦肉の作で、「大YAMATO零」なる作品を作ったらしい。

それはさて置き、当時のヤマトの製作会社「オフィスアカデミー」は西武池袋線の桜台駅近くにあった。
千川通りを挟んだ反対側には、石ノ森章太郎さん専用の席がある喫茶店「ラタン」が、パチンコ屋の二階にあった。そして千川通り沿いのビルの一室に、あの「赤村プロ」があった。

その赤村プロにオフィスアカデミーから、ヤマトの動画が回ってきた事があった。当時、赤村プロ所属の俺も、短い期間だったが、ヤマトの動画作業をした。
戦艦ヤマト本体の緻密な絵の動画が来ると、作業が大変で地獄だった…
俺の記憶だと、このヤマトから「メカ作監」というシステムが始まったように思う。だがヤマトのテレビシリーズは、全く人気も無く視聴率も低かった。
ヤマトに人気が出始めたのはテレビシリーズが終了して、劇場作品が公開されてからの事だった。

「悲しきダンガードA」

赤村プロは松本零士さんにも大迷惑をかけている。
ヤマトが終わった数年後、松本零士さん原作の「ダンガードA」が東映動画のテレビシリーズで始まった。赤村プロの自社ビルが完成して、会社が引っ越した頃、赤村プロはダンガードAの劇場作品を作画していた。その作画の真っ最中にあの事件が起きた。
事件は退社願いを申し出た女子社員を監禁して、集団でリンチするという凄惨な事件だった。その真相はトップページの「あの事件の真実」として、マスコミ報道には無い真実を詳しく書いてあるので、そちらをお薦めする。

この事件に松本零士さん本人は全く関係が無く、本人にとってみれば、まるで「もらい事故」のようなものだった。ダンガードAの絵も紙面を飾り、公開前の作品は傷が付き、その凄惨な事件は日本中を震撼させた。
各新聞社は赤村兄弟の顔写真入りで、一面の「トップページ」で掲載した。その数年後当時新聞を取ってなかったアニメーター達が、「国会図書館」で、その記事をコピーする珍現象まで起こった。そして赤村プロに恨みのある人間達は、その記事で盛り上がって溜飲を下げていた。

その事件の事後処理に当たった俺としては、松本零士さんが原作のアニメ映画の真っ最中だっただけに、どうしても松本零士さんとあの事件が、リンクしてしまう…
こうして赤村プロの集団リンチ事件によって、松本零士さんと東映が、とんだトバッチリを受けた結果になった。

ちなみに、この当時の東映動画の製作体制はまさに「殿様商売」だった。

当時の東映動画は、原画と動画の一話分を各下請けのプロダクションに発注する体制をとっていた。ところが、その仕事で使う動画用紙をケチって、あまり配給してくれなかった。テレビシリーズの原画と動画を合わせた一話分の動画用紙は、「4000枚」しか支給してくれなかった。それ以上使う場合は、下請け会社が東映から動画用紙を買い取るというシステムだった。

アニメに詳しい人ならわかるだろうが、シリーズのオンエアの動画だけでも、動画用紙は3000枚ぐらいは使う。原画も1000枚ぐらいは使う。すると原画や動画の下描きで使う用紙は必然的に足りなくなってしまう。動画用紙が足らなくなると、東映に金を払って売ってもらうというシステムだった。

そういった不平を製作サイドに言おうものなら、「お前んとこだけ多くの動画用紙は出せねえんだよ!」などと、東映のヤクザ映画よろしく、怒鳴られる始末だった。そんな製作の人間もいた。当時の東映は何かを勘違いした男くさい(?)会社だった。

虫プロ出身の神宮さんなどは、原画が遅れると、「オイ、お前いつになったら上がるんだよ!」と、べらんめえ口調でよく電話で恫喝されたらしい。
気の弱い神宮さんが、「あの人は絶対ヤクザだよ。」と、後にこぼしていた。特に東映の小野さん(仮名)を恐れていた。その小野さん、東映の組合の情報を会社にリークして、出世したらしく、演出からも卑怯者として嫌われていた。

そんな社風からなのか、中にはサンライズの仕事をしていたアニメーターに仕事を断られて、「生意気だ!」と、そのアニメーターを殴った製作進行もいた。
昭和時代は人権意識もゆるく、それを報道するマスコミも無かった。当時の社会情勢は、多少の暴力は、「愛のムチ」などと、歪曲されて通用する時代だった。そのトラブルも個人的なトラブル程度と処理されたのだろう。

事件になったダンガードAの内容も主人公は「愛のしごき」を受け続ける。エンディング曲には「耐えろしごき」、「超えろ限界」のフレーズがある。愛のしごきは肯定されていた時代背景だった。
現在活躍している演出家でも、「愛の鉄拳制裁」を受けて育った(?)演出家もいる。
だが、赤村プロの場合、「会社ぐるみ」の異様な集団リンチ事件だったから、言い訳が出来なかった。

現在は人権も厳しくなって、そんな対応をするアニメ製作の人間はいないだろうし、動画用紙をケチって買い取らせるアニメ会社は無いだろう。

前記の神宮さんが恐れた東映の小野さんだったが、その後、別の意味で赤村プロ社長の妄想に巻き込まれていく。その騒動は赤村社長が釈放されて、リンチ事件の加害者達が会社を去ってからの出来事だった。

騒動のあらましは、完全な赤村社長の妄想だった。赤村社長の義理の両親や奥さん、それと弟夫婦が東映の小野さんと結託して、保険金目当てで自分を殺そうとしていると赤村社長が大騒ぎ。その妄想はスタッフまで巻き込んで、親族を責め立てて怒り狂っていた。 当時の赤村プロでは仕事にもならず、てんやわんやの大騒ぎだった。
そんな訳で、スタッフも次々に居なくなって、東映の仕事もできなくなった。赤村プロがそんな窮地に陥った頃、サンライズスタジオが救いの手を差しのべて赤村プロは復活を果たしていく。

ところが、あの「ガンダム騒動」が勃発して、スタジオが空っぽになった。それでもサンライズからの人材補強等など、手厚い保護を受けながら、スタジオが三つに増えて繁盛していく。(トップページ・サンライズの罪参照)
だが、赤村プロの本質は何も変わらなかった。その後もスタッフに自らの「奇行」をさらけ出して、スタッフが呆れて退社して、「雑草スタジオ」は閉鎖。(No.6.地獄のモンスター参照)
赤村プロは様々な人間達に数限りないダメージと迷惑をかけた。リンチ事件でダンガードAを汚された松本零士さんもそんな被害者の一人だった。

ダンガードAの補足情報として、ダンガードAのアニメのキャラクターデザインは、「故・荒木伸吾」さんだった。往年のアニメファンなら説明する必要もないが、名アニメーターだ。
実は荒木さんは、赤村社長の師匠筋にあたる。俺が赤村プロに入る前に荒木さんと赤村社長は、一緒に仕事をしていた関係だった。

そんな恩人にさえ、赤村社長の妄想は激しかった。赤村プロがまだ桜台にあった頃、府中の「三億円事件」の犯人は荒木伸吾だと、赤村社長から徹夜で聞かされた事がある。
その根拠は、荒木さんの家にはテレビが二台ある。(当時はテレビが高価だった)
その一台は中がくり抜いてあって、中に三億円が入ってるに違いない。と真剣に熱弁を振るっていた。(-_-;)…

松本零士さんが亡くなった報道を見て、ダンガードAと共に、アニメ界の負の遺産が目まぐるしく頭をよぎる。これもアニメ界の裏歴史の一部なのだ。松本零士さんにお悔やみを申し上げる。

赤村プロの妄想の災難はいつ起こるかわからない…

富野さん、居田桑君、そして金山さん、大丈夫ですかぁ~?