画家・野口恭孝

                                                                                                           2019/11/29





先日銀座でハワイ在住の画家「野口恭孝展」に行ってきた。

もともと彼はスタイリストであり、二つの仕事を掛け持ちしている。
そして恭孝は俺の甥っ子でもある。姉さんの長男なのだ。
彼の母親でもある俺の姉さんの御葬式以来、15年ほど会ってなかった。その彼からの突然の電話で、懐かしさのあまり銀座まで足を運んだ。
お供に相棒の「南画伯?」と一緒に行ってきた。南もオーストラリアで絵が売れてるし、俺の甥っ子の恭孝の絵に興味があったようだ。

展示場に入ると、恭孝の姿は一目でわかった。俺と目線が合うと、両手を揃えて、「いらっしゃいませ。」と、他人行儀な挨拶。全く俺に気付かない。
俺「何だよぉ~! 何がいらっしゃいませだよぉ~!」と、接近して膝蹴りのマネ。
恭孝「えっ!えっ!、なに?…つとむちゃん?…」うろたえながら、やっとわかった。しばらく会ってないから、しょうがない。そんな再会だった。「どこのオジサンかと思ったよぉ。」

そして同行した初対面の南の紹介を始めた。
俺「お父さんが作詞家で、タッチとか、ギザギザハートの子守り唄とか…」と言いかけると、「ええっ! あの歌の作詞家のお嬢さん?、実は明日フミヤさんが来るんだよ。」
「なにっ!」今度は俺が驚いた!
どうやら元チェッカーズの藤井フミヤ氏と親しいらしい。そんな巡り合わせにお互いが驚いた。

彼が多くの芸能人と交流があるのは噂で聞いていたが、南との不思議な接点はまだあった。彼の奥さんと南の義理の母親が、全くの同姓同名だった。

前日はタレントで、あの「シャー!」の勝俣氏が来たらしく、一緒に御飯を食べたとのこと。
しばらくすると、会場に訪れた品の良さそうなおばさんと恭孝が大げさなハグ。
あとで紹介されたが、その人は芸能界でも超ビッグで、有名な演出家の奥さんとのこと。
久々に会った甥っ子は、いろんな人に可愛がられてるんだなと思った。

そして彼の絵は、予約済みや売却済みの札も多く、それなりに売れていた。初めて見る彼の描く絵は、どちらかと言うと、ポップなメルヘンチックな画風だった。
来る時に妻から、「一枚ぐらい買ってあげたら?」と言われて来たが、貧乏アニメーターには手が出ない…
一枚の値段が俺の月収分ぐらいある。それどころか、それ以上の物もある。
絵は個人によって、好き嫌いがあるだろうが、彼の世界観はひしひしと伝わってきた。

そんな彼との思い出は、幼少期にさかのぼる。
彼の幼少期は、家庭的に不遇だった。いろんな事情があって、幼い頃に時々俺の実家に預けられて育った。彼が預けられる期間は1ヶ月の時もあれば、2ヶ月の時もあって不定期だった。
彼が3歳ぐらいの頃、俺は小学生だった。末っ子の俺にとっては、まるで弟が出来たみたいで嬉しかった。だが、彼にとっては悲しくも寂しい日々だったに違いない…
両親とも離れ、たった一人取り残されての生活は寂しかったろう…
夜になると寂しくなって、時々布団の中でメソメソ泣いてた夜もあった。
何となく、「みなしごハッチ」と彼が重なってしまう…♪やがて逢えるぞ母さんに~♪…

そんな生活が終わって、家族と一緒に暮らせるようになった頃、父親が病死…
しばらくすると、下の弟が交通事故で亡くなった…
そして親孝行したいだろう母親も、今は天国で暮らしてる。

恭孝の母親でもある俺の姉さんは、俺によく言っていた。「恭孝には小さい頃から、苦労かけたからねぇ~…」それが口癖だった…
当時、姉さんが恭孝を引き取りに来ると、彼はもう大喜び。母親とずっと会えなかった分、喜びを爆発させた。
彼との思い出は、一緒に遊んだ楽しい日々と、せつない思いが同居する。そんな幼い頃の思い出ばかり。

ある時、また姉さんが恭孝を迎えに来て、荷物をまとめて帰り支度をしてた時。
小学生の俺は、恭孝のオモチャをひとつ隠した。恭孝が持っていた指人形が、どうしても欲しかったのだ。それは人差し指にハメる小さなウルトラマンの人形だった。
いけない事だとわかっていても、我慢出来なかった…
そんな事など知らない恭孝は、またお母さんと暮らせる喜びで、はしゃぎながら手をつないで帰って行った。

二人が出て行ったあと、俺は自分が情けなくなった。お母さんと離れ離れで、ずっと頑張ってた、可愛い恭孝のお気に入りの物を盗んだのだ…
そして涙が止まらなくなった…悔しくて、自分が許せなかった。

そして泣きながら慌てて二人を追った。近道をしようと、田舎の線路を必死で走った。
遠くの駅のホームに二人が見えた時、俺は走りながら涙を拭いて、大声で叫んだ。「やすたかあ~!、わすれものだよお~!」
正直にくすねたとは言えなかったけど、なんとか渡すことが出来た。
当の恭孝は、母親と暮らせる思いの方が強かったのか、それにはあまり興味を示さなかった。
それでも俺はホッとした気分で、何かをやり遂げた晴れ晴れとした気分だった。もしあの時に返せなかったら、そのあと、子供心にどれだけ後悔しただろう…

こんなジジイになっても顔を見た瞬間、当時にタイムスリップする。
「冒険ガボテン島」の歌をよく歌っていた、幼い恭孝の姿が頭の中にフェードインしてくる。
幼児特有の「なんで?」、「どうして?」の執拗な質問責めで俺を困らせる。
そして、「ママ~…」(>_<。)…
俺だって泣いたんだ…コイツを思うと、少しセンチメンタルになる…そんなせつない記憶も今は薄らいでいく。

あの素直で優しかった恭孝の面影は、今も昔も変わらない。未だ俺のことをつとむちゃんと、ちゃん付けで呼んでくれる可愛い奴。
画風からは、負を跳ね返すような躍動感を感じた。だから恭孝なんだな。

照れくさくて直接言えないから、ここで言う。
頑張ってるな。今後の活躍と、幸せを心から願ってる。

兄貴分つとむちゃん。

                                
                                左から筆者、恭孝、南 >
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